昨夜、娘が「ママ、ハグして」と 私より縦も横も大きくなった体を擦り寄せてきて、なかなか私から離れようとしないので、よく引き締まった筋肉の背中を撫 でながら、「なんかあったの?」と さり気なく聞いてみた。「バカっぽくて、話せない」と返事。「じゃあ、話したくなったら聞いてあげるよ」と、ビデオの 続きに入ろうとしたが、娘はハグしたまま私にくっついてる。
「何だ、何だ、ファーストキスでもしたか?」とちょっと からかう。
「それは無いでしょ」と返事。
久しぶりの甘えん坊さんの娘に、何だか、小さな娘を精一杯守ってあげていた頃の自分にフィードバックされて行くようだった。
ちょっと快感。
「とにかく寝る時間だから 寝な」と諭して、「あとで ベッドに行ってあげるからね」と付け足すと、ようやく重かった身体をどけてくれた。
約束通り、娘のベッドで、よしよしと頭を撫でてあげていたら、娘は部屋の電気を消し、真っ暗にして、やっと話す気になった様子。
話し出すまでに 結構 時間が掛かっていたが、何でも 初恋で、苦しいらしい。
相手が、一学年上なので、卒業まで4ヶ月というのが苦しいらしい。
「おおおお、そうか、いいな」と、ただただ羨ましいばかりの私。
初恋なんて化石だからな・・・・どんなんだったか、ぼちぼち思い出して、娘に自分のこと話したりしてみた。あんなに夢中になった相手なのに名前が出てこない。
やっと感覚が思い出され、「そうだよ、そうだよ、胸がキュンとするんだよね」というと、娘は布団にくるまってキャーと、照れて、何故か涙してる。
わたしは、また、「いいな・・・・、初恋って なんで一回きりなんだろう・・・、だから、初恋なんだけどさぁ・・・あー、もう一回、ママも胸キュンしたい!!」の連発。
その後、色々話して ほとんど自分のこと話してたら、娘はグーグー寝てしまっていました。
14歳の女の子と内緒話ができるオバサンも また いいではないか、と 自己満足させて
娘の部屋を私はそうっと抜け出すと、リビングで入れ歯が壊れ歯茎を痛めて塞ぎこんでる夫をまじまじと見つめては、「この人にも胸キュンした筈だな。」と心の中で呟いてから、シワシワになった夫の唇におやすみのキスをして寝ました。
胸キュンキュン言わせて 熱し易かった私も
いつの間にか
地蔵さんみたいに どっしり型に変化しています
これもまた、いいやな
2012-02-28
2012-02-21
映画「毎日かあさん」
「毎日かあさん」という映画を 私の54歳の誕生日の19日にみた。
小泉今日子と永瀬正敏が夫婦役を演じているのに驚いた。実生活で実際に一度夫婦だった二人だからだ。映画を見て、きっと離婚後も この二人いい関係でいたのだろうと想像ができるほど息があっていた。
21年目を向かえる旦那と私も、夫婦という繋がりをいろんな面から探り当てて、やっと穏やかに 「こんなもんかな」と相手をあるがままに受け入れることが出来てきたと思う。いや、旦那はきっとずっと私をあるがままに受け入れてくれていて、それに私がやっと気がついたという方が正しいかな。あるときは恋人で あるときは友達で あるときは厳しい批判者で あるときは母であり 師匠であり 弟子でありと 一緒に歩んでいるといろんな役柄をお互いが担当する。
結婚は本人同士の繋がりだけでなく家族と家族の繋がりでもある。だから難しい問題も当然起こる。
夫婦は双六のゲームに似ている。双六は「振り出し」から「あがり」へ進むゲームであることは誰もが知っている。もしサイコロを振るのを止めたら、当然「あがり」には進めない。そして相手が存在しなかったら、ゲームも成り立たない。
夫婦だけでなく、人の繋がりは、振り出しの「愛」が、あがりの「愛おしさ」になるまでのゲームなのかもしれない。
私が生まれてきたのは、伝え損なった有難うを伝えるために ここに戻ってきたのではないかなと 54歳の私はサイコロを振りながら、ふと そう思った。
すべてが愛おしくてたまらない。でも、まだきっと あがりじゃないな
この映画の最後に流れるこの歌を、何度も何度も聞いた。
海を見てると 君のことを思い出す
振り向きざまの あの笑顔 この胸に広がる
楽しい楽しい日々を 辛く切ない日々を
君と共に暮らした日々を 忘れられない日々を
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を 雨の日も風の日も
ケサラ ケサラ ケサラ
夢の中 行き交う 今日もいろんな人が
争うことなく暮らせるように 共に暮らせるように
ケサラ ケサラ ケサラ
君の生き道を 雨の中 風の中
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
巡る季節の中を 前を向いて歩いてく
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を ふれあい 分けあい 愛しあい
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を 前を向いて歩いてく
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
巡る季節の中を 前を向いて歩いてく
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を ふれあい 分けあい 愛しあい
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ SARA
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この詩は、この映画のためではなく 彼の亡くなった友人に向けて書いたものだそうです
小泉今日子と永瀬正敏が夫婦役を演じているのに驚いた。実生活で実際に一度夫婦だった二人だからだ。映画を見て、きっと離婚後も この二人いい関係でいたのだろうと想像ができるほど息があっていた。
21年目を向かえる旦那と私も、夫婦という繋がりをいろんな面から探り当てて、やっと穏やかに 「こんなもんかな」と相手をあるがままに受け入れることが出来てきたと思う。いや、旦那はきっとずっと私をあるがままに受け入れてくれていて、それに私がやっと気がついたという方が正しいかな。あるときは恋人で あるときは友達で あるときは厳しい批判者で あるときは母であり 師匠であり 弟子でありと 一緒に歩んでいるといろんな役柄をお互いが担当する。
結婚は本人同士の繋がりだけでなく家族と家族の繋がりでもある。だから難しい問題も当然起こる。
夫婦は双六のゲームに似ている。双六は「振り出し」から「あがり」へ進むゲームであることは誰もが知っている。もしサイコロを振るのを止めたら、当然「あがり」には進めない。そして相手が存在しなかったら、ゲームも成り立たない。
夫婦だけでなく、人の繋がりは、振り出しの「愛」が、あがりの「愛おしさ」になるまでのゲームなのかもしれない。
私が生まれてきたのは、伝え損なった有難うを伝えるために ここに戻ってきたのではないかなと 54歳の私はサイコロを振りながら、ふと そう思った。
すべてが愛おしくてたまらない。でも、まだきっと あがりじゃないな
この映画の最後に流れるこの歌を、何度も何度も聞いた。
海を見てると 君のことを思い出す
振り向きざまの あの笑顔 この胸に広がる
楽しい楽しい日々を 辛く切ない日々を
君と共に暮らした日々を 忘れられない日々を
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を 雨の日も風の日も
ケサラ ケサラ ケサラ
夢の中 行き交う 今日もいろんな人が
争うことなく暮らせるように 共に暮らせるように
ケサラ ケサラ ケサラ
君の生き道を 雨の中 風の中
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
巡る季節の中を 前を向いて歩いてく
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を ふれあい 分けあい 愛しあい
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を 前を向いて歩いてく
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
巡る季節の中を 前を向いて歩いてく
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ ケサラ
今日の一日を ふれあい 分けあい 愛しあい
ケサラ ケサラ ケサラ
ケサラ ケサラ SARA
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この詩は、この映画のためではなく 彼の亡くなった友人に向けて書いたものだそうです
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