2011-10-08

遊戯隊's demonstration class

日本愛好協会 "JAPON遊戯隊" in メキシコ なんか作っちゃいました。
私はサポーター役です。
これは、デモストレーションクラスの様子です。

2011-09-29

留学中の邦人学生、「知日派」育成に協力を

文部科学省は、アジアを中心とした海外の大学に留学する日本人学生に、現地の学校や企業で日本語や文化を広める指導役を担わせる制度を新設する方針を固めた。
各国で「知日派」となってくれるような人材を育成するのが目的だ。さらに、こうした経験を単位として認めたり、授業料免除の仕組みを設けたりすることで、「内向き志向」と言われる日本人学生に留学を促す狙いもある。
こうした仕組みは、日本と海外の大学間の交流協定の中で位置づける。同省は日本の大学支援のため、2012年度予算案の概算要求で人材育成などに重点配分する特別枠「日本再生重点化措置」に、大学間の交流経費21億円を盛り込む。
留学生は、現地の大学と連携する中学校や高校で日本語や文化歴史を教えたり、日本企業で就業体験をしながら現地スタッフに日本語・文化を広めたり する。同省は、こうした社会経験は留学生の就職活動に有利に働くだけでなく、現地の人材育成が必要な日本企業にも利点があるとみている。企業や大学には授 業料免除などで留学生を資金援助するよう求める方針だ。
(2011年9月29日15時41分  読売新聞)
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Los estudiantes japoneses que estudian en "pro-grupo japonés" para fomentar la cooperación

MEXT, los estudiantes japoneses para estudiar en universidades extranjeras con un enfoque en Asia, decidió construir un nuevo sistema para servir como el embalaje japonés y la enseñanza en la difusión de la cultura de las escuelas y empresas locales.

De los países pro-grupo japonés "Su objetivo es desarrollar los recursos humanos como yo. Además, estas experiencias pueden calificar como una unidad, o por los mecanismos establecidos de extención de matrícula, "hacia adentro" también tiene como objetivo animar a los estudiantes japoneses para estudiar y hablar.Estos mecanismos se colocan en los acuerdos de intercambio entre las universidades de Japón y el extranjero. Universidades japonesas para apoyar el ministerio, como el cuadro de enfoque especial en la asignación de recursos humanos en el presupuesto para el año fiscal 2012 ,solicitud de presupuesto, "Japón juega medidas de establecimiento de prioridades" para incluir el costo de cambio entre el yen 2100 millones entre las universidades.
Los estudiantes internacionales, enseñanza de la historia y la cultura de los japoneses en escuelas secundarias y preparatorias para trabajar con las universidades locales, o para difundir la cultura japonesa al personal local con experiencia de trabajo en las empresas japonesas. El ministerio ha experimentado este tipo de actividades sociales, así como a favorecer el empleo de los estudiantes,se cree que hay beneficios para las empresas japonesas que necesitan para fomentar el talento local. Los planes de llamadas para empresas y universidades para ayudar a estudiantes y profesores de finanzas, como la extención de negocios.

(Yomiuri Shimbun 15 horas 41 minutos 29 de septiembre 2011)
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これはグッドニュース!
10月から日本愛好会「JAPON遊戯隊」なるものを開校することにした私には、また新たなアイディアに繋がった!!

楽しくなるな!



2050年までに火星へ人…日米欧機関が行程表

 2050年ごろまでに火星へ人間を送り込む有人探査の構想を、日米欧など11か国・地域の宇宙研究機関がまとめた。
月や小惑星の有人探査を経て火星を目指す行程表を、30日に京都市で開く国際宇宙探査協働グループ(ISECG)の会合で決定する。この火星有人 探査計画には、日本の宇宙航空研究開発機構や米航空宇宙局(NASA)などが参加。実現に必要な技術開発は、各機関が分担する。
行程表では、まず20年代半ばまでに月面に着陸し、火星での活動に向けた探査車の実証や宇宙服の開発などを進める。30年代半ばまでに、人間が宇宙で長期間生活できるシステムや、小惑星への着陸技術などを開発する。最終的には40~50年ごろまでに火星着陸を目指す。
(2011年8月30日  読売新聞)
 
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これって、地球見捨てるってこと?
 

2011-09-22

犬のトレーニング

先週の日曜日から迷子の子犬を家で世話しています。子犬といってもちょっと大きくなっていて甘噛みだけど噛む癖があり、その躾を家族でやっています。噛み癖が治ればきっといい貰い手も着くだろうとちょっと頑張ってみています。でも犬を飼うのはあまり慣れていないので上手くトレーニングできずインターネットで調べていたら面白いページを発見!やはり相手の気持になることが基本なんですね、どの世界も・・・・

Luring Makes it Easy - Training Dogs with Dunbar

2011-09-21

Apple創始者 スティーヴ・ジョブス



『Media naranja』(オレンジの半分)に出会えた

メキシコで知り合った日本人のお友達から、メキシコでは理想のパートナーと巡り会えたとき
『Media naranja』(オレンジの半分)に出会えたって言う表現を使うということを聞いて、私も素敵だなと思いました。
いつか使いたい・・・なんて思ったけど、それって、新たな出会いと 別れを意味するなと 苦笑
そのお友達は、”自分一人では決して完全ではないんだ”という意識があるということだとも言っていました。なるほどです。
そこで、ある絵本のことを思い出し、もう一度読みなおして見ました。

「The Missing Piece ミッシングピース」という絵本です。

''Oh I'm lookin' for my missin' piece
I'm lookin' for missin' piece
Hi-dee-ho,here I go,
Lookin' for my missin' piece.''

って、歌いながら自分の破片を探して転がっていく円形くん、欠けてる分ゆっくりにしか転げないでいるのですが、歌ったり、芋虫と話したり、蝶を眺 めたり、そして ついに 自分に完璧な破片を見つけます。完璧な円になって転がるスピードが増し、転がっていくのですが、歌うのもうまく歌えなくなり、芋 虫ともゆっくり話せず、蝶を見る時間もなく転がって、最後に 折角 見つけたその破片を優しく置いて、ゆっくり また転がっていくといった話です。

今、絵本を開いて見てみると、以前 娘に読んで聞かせていたときより、もっと深く理解できる自分がいて微笑んでしまいました。
''Oh I'm lookin' for my missin' と心で歌い、なるほど、本当に破片を探していた時より、破片を見つけ、また、それを手放した今の方が、もう探さなくてもいいんだと嬉しくて歌えるなと思え ました。私にとってのパートナーは、転がっていく途中の道すがら、たまたま自分とフィットした存在で転がり方に少し変化がついたかもしれませんが、私は未 だにMissing Pieceであり続けているんだと何故か嬉しくなります。

”自分一人では決して完全ではないんだ”という意識を持てたということが、オレンジの半分に出会あったことより、うれしいのは何故でしょう。

この絵本のシリーズにTHE MISSING PIECE Meets the BIG O というのもいいです。

2011-09-08

自分の中に まだまだ残っていました劣等感 気づいたことはラッキーだ!

日常の生活の中で、他者から受ける態度から、自分がどんな反応をしたかで、自分を知る大切な切っ掛けになる。
そういったことから、先日、自分の中に根強く残ってる劣等感の破片を見つけたので、もう一度そのことについて学ぶことにした。

「理想を描かないやり方、現実の等身大の自分を出しきって瞬間を生きる」 これが私のいわば理想です。理想を描かないと言っていながら変な話です が、良寛さんみたいな生き方が自分には、合ってるそういう気がしています。でも ときどきこうやって、周りが飾り立てられたデコレンションケーキで、自分 がコッペパンに思える瞬間が出てきます。そういう時こそ 智慧をつけるいいチャンスです。良いページが見つかったので書き残しておきます。
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劣等感を解消する方法

http://homepage2.nifty.com/tetunosin/rettou.html より


▼ 他人の畑は青く見える

神経症の人は、劣等感を感じる事が非常に多いだろうと思います。よく素晴らしい人を見て、その人に嫉妬したり、劣等感を感じたりしますよね。他人の畑は青く見えると言いますが、人のことが良く見えれば見えるほど、自分がみすぼらしく見えて来る訳です。

▼ みすぼらしい自分

劣等感を感じる場合、人の長所と、自分の欠点を比べているように思います。劣等感を感じやすい人というのは、人の長所を見て、それをすぐに自分 の欠点と比べてしまう人なのかも知れません。言い方を変えてみると、人の長所がよくわかる人であって、自分に欠点と比べさえしなければ、劣等感は感じない のではないでしょうか。

▼ 劣等感と理想の関係

かといっても、人が素晴らしければ素晴らしい程、劣等感を感じてしまう訳ですが、実はその相手の素晴らしさの中に、自分がこうありたいという理 想を見ているのではないでしょうか?つまり劣等感というのは、素晴らしい人に対して感じる訳ではなくて、相手の中にある自分の理想に対して、自分がまだそ こまで至っていない事に劣等感を感じていると思うんです。

▼ 理想から見た自分

自分が抱いている理想から、現実の自分を引き算すると、そこに見えてくるものは、自分の欠点や問題点です。理想が素晴らしければ素晴らしいほど、自分がみすぼらしく見えてくる訳です。

▼ 神経症(ノイローゼ)と理想の関係

自分の理想がとても実現不可能な程、素晴らしい場合、神経症になります。でも本当に、理想通りの自分にならなければいけないんでしょうか?理想 の自分になるまでに、もう少し時間をおいてもいいんじゃないでしょうか?もしそう思えたら、神経症の症状は和らいでくるだろうと思います。あるいは実現不 可能な理想を引き下げて、もう少し手近で簡単に実現できるような目標に変更すれば、ずいぶん生きやすくなるだろうと思います。

▼ 引き算は止めよう!

理想から現実を引き算するから、自分の欠点ばかりが目立ってしまい、劣等感を抱く訳ですから、まず理想から現実を引き算するのを止めてみませんか?


▼ 劣等性とは何か?

アドラー心理学には「劣等性」という言葉があります。これは誰が見ても客観的に生活上不利な事です。例えば目が見えないと生きていくのに困りま すよね。耳が聞こえなくても、やはり生活上不利だろうと思います。これらを劣等性と言い、生活していく上で、現実に能力が劣っている為に不利を感じる事で す。

▼ 劣等感と劣等性の違い

それに反して劣等感というのは、きわめて主観的な感覚で、事実には全く関係がない場合が多いようです。客観的には劣等性がない事について、深い劣等感を持って苦しんでいる人がいますが、逆に劣等性があるのに、劣等感を持たない人もいます。

▼ 人間にとっての理想

前半にも書きましたように、劣等感は人と比較して、自分が劣っていると感じる事ではなく、理想の自分と現実の自分を比較して、劣っていると感じ る事だと思っています。誰かに対して劣等感や嫉妬を感じる場合、その人の姿に自分の理想を見ていたのかもしれませんね。人間は誰でも自分の理想に向かって 生きています。人間は生きている限り、理想追求・目標追求を止めませんから、人間であるという事は劣等感を持つという事なんですね。

▼ 隠れた劣等感

深い劣等感がありながら、自分からも他人からも覆い隠す為に、あたかも自分が優秀であるかのようにふるまう事で、人生の課題を避ける人もいます。また、周りの人を見下す事で、劣等感を解消しようとしている人もいます。

▼ ありのままの自分を受け入れよう

簡単に言うと、理想から現実を引き算すると、自分を嫌いになるという事です。それじゃあ自分を好きになるにはどうすればいいか?自分を受け入れ るにはどうしたらいいか?という問題ですね。欠点があるから、自分の事は好きになれないと思うかもしれませんが、欠点というのは、使い方によっては長所に なると思います。

▼ 欠点と長所

例えば、自分は気が小さくて臆病だと思って劣等感を感じている場合、別の面から見ると、慎重で軽率な行動をしないという事ですよね。融通がきか なくて堅苦しい人間だと考えている場合は、几帳面できっちりしているという事ですよね。自分はとても暗い性格だと思っている人は、他人の気持ちをさっし て、ずけずけと無遠慮に他人の中に入っていかない感受性の強い人という事になります。

▼ 自分を好きになる方法

こうやって自分の性格の長所の側を見ていくと、自分を受け入れる事が出来るようになります。次第に自分を好きになれていく訳です。アドラー心理 学で言われている事ですが「何が与えられているかが問題ではなくて、与えられているものをどう使うかが問題だ」という事でしょうか。

▼ 性格を変える必要はない

つまりどんな性格を持っているかは問題ではなく、持っている性格をどう活用するかが問題のようです。自分という道具は、かなり癖のある道具かも しれないけど、残念ながら買い換える事は出来ないんですね。それを使いこなす為には、癖があるままで、問題があるままで、まず好きになる事が大切です。ま あこんな感じで、私の劣等感は解消されていったようですが、何か参考になりそうですか?

引越し

またまた久しぶりの日記

カナダで過ごした素敵な時間のことも書いておこうと思いつつ、日課に追われておりました。

決定事項が一つ。引越しです。10月末に、周りが牧場ばかりの田舎に引っ越すことになりました。
家賃無料、地下水だから水も無料、共同のプールももうすぐ完成、この新築の家は少し狭くなるけど、のっぱら使い放題。敷地内に親戚とホームドクターが一緒に住むことになっております。
自宅でやっていた日本語クラスは部屋をレンタルして続けます。結構良い収入になってきたところなので。
娘の学校へは車で15分くらい、今のところよりちょっと近くなる。送り迎えは旦那が担当。バスは30分に一台通っているらしいが、予定通り来るかわかりません。

外に発信していたエネルギーをギューっと内側に引き寄せたら、色んなことが面白く進んでいます。
この事、引越しが落ち着いたら、まとめて書こう・・・・
先日も姉に手紙を書いていたら、どうも文がちぐはぐになってしまい、今は、表現を控える時なんだなと実感。ものごとがガタガタ浮き沈みして、書いたことが また すぐに変化してしまいそうです。
でも引越しは決定です。猫はきっと大喜び、あ、でも 親戚が番犬を二匹飼うと言ってるので、ある意味でエキサイティングな人生になるかな・・・いや、猫生っていうべきなのかな。きっと野生化するだろうな・・・・・牛もいるから びっくりすることいっぱいだ。

『心のチキンスープ』

『心のチキンスープ』ジャック・キャンフィールド /マーク・ハンセン(ダイヤモンド社)より抜粋


≪子犬と男の子≫

あるペットショップの店頭に、「子犬セール中」の札がかけられました。子犬と聞くと、子供はたいそう心をそそられるものです。しばらくすると案の定、男の子が店に入ってきました。
「おじさん、子犬っていくらするの?」
「そうだな、30ドルから50ドルってところだね。」
男の子は、ポケットから小銭を取り出して言いました。
「ぼく、2ドルと30セントしかないんだ。でも見せてくれる?」
店のオーナーは思わずほほえむと、奥に向かってピーッと口笛を吹きました。すると、毛がフカフカで丸々と太った子犬が五匹、店員のあとをころがるように出てきたのです。ところが一匹だけ、足を引きずりながら、一生懸命ついてくるこいぬがいるではありませんか。
「おじさん、あの子犬はどうしたの?」と男の子は聞きました。
「獣医さんに見てもらったら、生まれつき足が悪くて、多分一生治らないって言われたんだよ」と店のオーナーは答えました。
ところがそれを聞いた男の子の顔が輝き始めたのです。
「ぼく、この子犬がいい。この子犬をちょうだい!」
「坊や、よしたほうがいいよ。そりゃあ、もしどうしてもこの子犬がほしいって言うなら、ただであげるよ。どうせ売れるわけないから」と店のオーナーが言うと、男の子は怒ったようににらみつけました。
「ただでなんかいらないよ。おじさん、子の犬のどこがほかの犬と違うって言うの?ほかの犬と同じ値段で買うよ。今2ドル37セントはらって残りは毎月50セントずつはらうから」
その言葉をさ、えぎるように店のオーナーは言いました。
「だって、この子犬は普通の犬みたいに走ったりジャンプしたりできないから、坊やと一緒に遊べないんだよ」
これを聞くと、男の子は黙ってズボンのすそをまくり上げました。ねじれたように曲がった左足には、大きな金属製のギブスがはめられていました。
男の子は、オーナーを見上げて優しい声で言いました。
「きっとこの子犬は、自分の気持ちがわかってくれる友達がほしいと思うんだ」


≪理想の兄≫

これはぼくの友達、ポールの話である。
ある年のクリスマスイブのこと、ポールは兄さんからクリスマスに新車をプレゼントしてもらった。ポールがオフィスから出てくると、街でよく見かける少年が、そのぴかぴかの新車の回りを歩き回っていた。よほどその車が気に入ったらしく、ポールに話しかけてきた。
「この車、おじさんのかい?」
「ああ、兄貴からのクリスマスプレゼントさ」と、うなずきながらポールは答えた。少年はそれを聞いてひどく驚いた様子だった。
「えっ?おじさんの兄さんがくれたって?おじさんは全然お金を払わなくてよかったの?うわあっ、すごいな!ぼく・・・」と、少年は何かを言いか けたが、そのまま口をつぐんでしまった。少年は、「ぼくにも、こんな兄さんがいたらなあ」と言いたかったのだろう、とポールは思った。
ところが、少年の口から出た言葉にポールは耳を疑った。
「ぼくね、おじさんの兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」
ポールは、まじまじと少年の顔を見つめていたが、自分でも思いがけない言葉が口をついて出ていた。
「このくるまにのってみるかい?」
「本当?ウン」
車を走らせてまもなく、少年の目はキラキラと輝き始めた。
「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」
ポールはおもわずニヤッとした。きっとこんな大きな車で帰ってくるところを近所の人たちに見せて、自慢したいんだなと思った。しかし、その憶測はまたもやはずれた。
「あそこに階段がついている家が見えるだろう?そこでちょっと待ってくれる?」
少年は車を降り、駆け足で家に入っていった。しばらくすると家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。少年が体の不自由な弟を背負って出てきたのだった。弟を階段の一番下に座らせ、車がよく見えるように弟の体を支えた。
「ほらバディー、見てごらん。さっき言ったとおり、すごい車だろ。そこにいるおじさんの兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。それも、まるっきりタダでくれたんだって。お前も、待ってなよ。兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をおまえに買ってやるからね。そしたら、いつも話してるクリスマスのきれいな飾りを、その車に乗って見に行こうね」
それを聞いたポールは何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ車の助手席に座らせた。目をキラキラ輝かせた少年もその横に乗り込むと、三人はドライブに出かけた。本当に素晴らしいクリスマスのドライブだった。

このクリスマスの日、ポールは聖書のみことばをしみじみ感じたのである。
「受けるよりは与える方が幸いである」

8月11日 ティーンエージャー

家の中にティーンエージャーがいるのは、実に面白い。

今年で14歳になる娘は、浴室に半日閉じこもり、髪の毛にカラーを入れていた。
おしゃれが今一番楽しいらしい。唇の裏の歯茎にピアスを入れたいと言ってきたときは、ダディとマム(ママ)が死んでからにしてくれと却下。

さて、出来上がりはというと、髪の毛を脱色し青い縞々の色を一部に入れて、なかなかカッコイイ

旦那が、少々呆れて私の顔を見たので、「あなたもヒッピーやってた時があったんだから、彼女もやりたいことやっていいんじゃない?」というと、旦那が、ジェスチャーで「シー」と内緒のポーズ

私も 目一杯、ティーンエージャーしたかったな。ちょっと臆病だったから、殻を破るのが遅かったかも。


きょうは、旦那の腰が再発したので、整骨院に行ってきた。個人でやってる怪しげな先生だけど、逆さに吊られて エイエイと先生が背中を押したら、ポキポキと二箇所が鳴った。帰りには腰を真っ直ぐして歩けるようになっていた。

夜に少しマイムレッスン、20日にパフォーマンスをやることになってるんだけど、照明が用意できるかどうか まだ はっきりせず、どの作品をやるか決まっていない。
旦那の腰のこともあるし、一体どうなるかな

やりたい、その気持ちに素直になりたい、でも身体はきちんと消耗しつつあります。
「やりたい時にやれる」
今だから、その貴重さが分かる

だから、ティーンエージャーよ、あなたの年を満喫しなさい

娘の縞々ヘアーに目を細くし見ながら、60と50を超えた夫と私は微笑みます

8月2日 カナダから戻って

ただいまー

お休みから ただいまー

このお休みは やっぱり休んでよかった

「良かった」と言えることあったから 帰ってきました

ただいまー

「只今」

いいね 「ただいま」


20年前の自分が帰ってきた そんな只今な気分です

自分に「お帰りなさい」といいます。


愛のからくりが解けて 誰を見ても愛しちゃいます

「いってらっしゃい」 「ただいま」 「お帰りなさい」

愛のからくりは そんな言葉で動いていました

2011-07-11

サンパンチョ

先週の日曜日にサンフランシスコデルリンコという長い名前の小さな市に行ってきました。レオンの人たちはサンパンチョと呼んでる市です。旦那と私にちょっとした仕事を紹介してもらったので、具体的な話をしに出掛けました。虹彩などを見て治療所を経営してるご夫婦が、サンパンチョにあるホテルをスパホテルとして運営することになり、顧客をアジアやアメリカなどの国外からお客を迎えたいとのことで、従業員に英語をまずは指導して欲しいという話でした。日本人とカナダ人のカップルということで、何かとこれから力になれるのではないかと話も盛り上がりました。



このホテルは、300年前の古い建物でとてもゴージャスで教会まで中に造ってあり、兎に角、綺麗でした。一番大きな部屋のトイレは我が家の一階の全フロアーぐらいの広さで驚きました。このホテル自慢のモーレを食べてから、ホテルの裏にある公園に行って またまた びっくり、ちょっとした動物園とキャンプ場が一緒になった敷地に、湖まであって、その光景が素晴らしかった。カナダを思い出した。
ホテルに宿泊するとただで入れるらしい。でも入場料は、もともと とても安い。隠れパワースポットといった印象。


 




レオンからそんなに遠くないので、これからお友達に口コミしなければ。
ほんとうに心が洗われるって感じのいい場所です。
今週の木曜にこのホテルでちょっとしたイベントがあり旦那が、ショウをすることになりました。来月には、ワインテイストのイベントもあって、その時には、マイムの一作品をやることにもなりました。

今日の朝、日本の母に電話して、カナダに今年の夏は行って、旦那のご両親に親孝行頑張ってやってくるよ。と話すと「ありがとう」と返事ががえってきました。

2011-07-08

グアダラハラ マイムフェスティバル

6月30日から7月3日まで、家族でグアダラハラに行ってきました。マイムフェスティバルで旦那がマイムワークショップと、ショーのステージの仕事が入ったからです。娘は通訳、私はアシスタントそんなところでした。出会ったマイミストに私は癒されました。みんな普段と舞台が同じなんです。そのままのキャラなんです。
一人ひとりを紹介したいな・・・
写真をあまり撮ってこなかったのがちょっと残念・・・でも彼、彼女たちを思い浮かべると自然と微笑みが浮かぶ。やっぱりマイムは好きだ。

娘が、「私もやりたい」と言い出した。私たちと一緒にやりたいと。
旦那が嬉しそうな顔してる。

レオンでパペットやってる素敵な姉妹にも出会えた。歌が上手で、ジャマイカの血が混ざってるという美人姉妹。同じ市内同士これから楽しくなりそうだ。

2011-06-21

ヘルススキャン

ホームドクターが取り入れ始めたこのヘルススキャンを家族で受けることになりまして、まだ主人と私だけしかやっていないけど、結果はコレステロールが意外と私は高かった。びっくり、主人はストレスと、運動不足 などなど、私のストレスは今までお医者さんが見たこともないような高い数値になっていました。メキシコだからね、きっと日本だったら並だと思うけど。血液検査もさせられて、なにやらサプリメントも試すことに。やっぱり身体に出ちゃってましたねー。肝臓が、かなり参ってるようです、それと肺の酸素不足、よく分かりませんが、ストレス解消に努めなくては、最近はいい感じだったんだけど・・・5年間のものがまだまだ残ってましたね。

体重が正常に戻るまで、しばらくウミウシになるのは諦めます。
でも、ベジタリアンは続けるね、ずっと
あと、運動不足も大きいようです。20分歩いて、ベリーダンスでもやろうかと思っています。アクティブ、アクティブ

2011-06-15

怒りが出たら絵を描く



今日は、 月一回会行われているマヤのオリオン瞑想の考案者であるマヤ人のアク・ターさんのレクチャーに行ってきました。スペイン語が分らないので娘も連れて講演の 模様を録音し、また後から訳してもらうことにしました。娘は、すっかり話が気に入ったようで、ピラミッドの意味がわかって面白かったと満足していました。 明日は、公園で大きなサークルを作り、オリオン瞑想をやります。
アク・ターさんと握手したとき白いオーラが彼の手に出ていたと娘が言っていました。
娘から聞いた話の内容の一部に、ネガティブなエネルギーは、物質すべてを通りぬけ浸透するけれど、それに比べポジティブなエネルギーは、波動力が弱いため 沢山の人たちと一緒に波動を起こす事で強く出来るのだそうです。お祭りなんかがそうですよね。
パーティなどで その場に溶けて身体が軽くなっていったのはそういう事だったのでしょうか。

しかしながら、すぐには、今までの癖が抜けずに、また主人に苛立って つい怒っています。少し違うのは、それを横で眺めているもう一人の自分がいて、究極へと追い込まないにしているということです。
怒りが出たら絵を描くということ始めました。昨夜は徹夜で龍の絵をかきました。描いた絵は売るというルールも自分で作りました。明日親しくなっ たショップへ持って行きます。我が家はずーっと家計が危ないのですが、私がこれと言って、手助けになるほどの稼ぎがありません。それもストレスになってい ました。子どもの時から、仕事をして稼ぐという感覚に薄かったので、絵を描いてもすぐ、誰かに上げてしまったり、安くで譲ったり、沢山描かなかったりと、 自分にできることに制限をかけていました。しばらく物々交換感覚で、絵を描いて浄化して、その絵を誰かに楽しんでもらうため代金をいただくといった思考で 単純にやってみることにしました。龍もネガティブにならないように金色を取り入れて描いています。不食への道も少しスローテンポにして、アイスクリームな ども楽しむことにしました。ショッピングも治安が危ないからと避けていましたが、サングラスを掛けて日本人に見られないようにして、龍の絵の額縁替わりに 貼る布を買いに出かけました。なんだか自然と にこやかになっていたから、お店や出会った人みんなが、やさしい対応をしてくれました。

長い話

先日、大学関係の日本語クラスの打ち上げパーティを15名ほど集まって小じんまりと楽しくやりました。ちょっと私が不調気味だったこともあり、我が家で やるかどうか決まるまで時間がかかってしまい連絡が行き届かなかったのと、生徒の数が急に減っていたことで、前回に比べて小ぢんまりになりました。私がカ レーをたくさん作って、みんなが持ち寄りで食べ物を持ってきてくれて、結構、豪華な食事になりました。ずっと この一ヶ月ベジタリアンから、不食を目指し ていた私も体重が36キロとこれまでにない軽さになっていたこともあって、今日だけはいいかと食べちゃいました。みんなで食べるとやっぱり美味しい。

パーティでは、別の大学の学生が製作した10分ほどのビデオ「EL MIMO」を上映。例の壁スクリーンで家庭内映画館です。映画のメインキャストは、主人、彼の芸風でない一般的に知られるマイム;縞々シャツに白メイクというキャラクターで出演。私は、その妻で出演。

結構、いい出来になっていたので みんなに見せたいなと以前から思っていたのが実現しました。

実は、この映画の出演を受けたとき、私の中でひとつの賭けがありました。それは、もう一度 主人に対して、出会った頃の素直な「ただ好き」という 気持ちが自分の中に蘇るのではないかという期待でした。製作していくうちに そういった気持とは反対に全く冷静な自分があり、冷めているという実感を認め ざる終えませんでした。完成した映画を見る頃には、別居ということを考え、先週、姑のことがきっかけで、本当に怒っている対象は主人であると分かり、とう とう、具体的に主人へ別居の話を持ちかけました。娘のこれからの教育、日本での私の進むべき道やら叶えたい夢、色々、ずっと私は 主人のモチベーションの 低さに怒りを持っていたことも。その怒りを どうしたら理解し解決できるのか、まずは 離れてみるのがいいのではと思ってのことでした。主人と私と娘は、 家族だけど、いつも自分だけ孤立してる感じがしていました。

主人とイタリアンレストランでお金が無いのでワインだけ注文し、この先の具体的なことを話しました。感情的にならなず彼は、娘のことについて私が 身勝手だと述べました。次の日、今度は娘とカフェに行き女同士で旦那と話した事を掻い摘んで暗くならないように話しました。13歳の娘は、日本とカナダを 行き来して生活したらどうかという案にさほど抵抗はなさそうでしたが、もし万が一、離婚となったらという点については猛反対、それも明るく猛反対。そし て、私のアートへの夢を家族みんなでやろうという提案をしてくれました。メキシコでも出来ることはあるんだと私が持っていたアイディアを話し始め、気持ち が軽くなっていきました。

家に戻って主人に、娘に打ち明けたこと、別居はしないで此処でやれること考えてみると言うと、彼は、感極まって涙しました。そこに娘が入ってき て、家族で出来るアート的なことのアイディアを話すと主人もアイディアを持ち出し、現実逃避とストレス解消にコンピューターゲームやインターネット情報、 番組に嵌っていたバラバラ家族に久びさの方向性の一貫したコニュニケーションが起きました。

その夜ベッドにひとり横になって、旦那が涙したところを頭にリピートさせていた私は、条件付で愛情を確かめてきた自分が見えて、恥ずかしくなりま した。旦那は、一度もそういった計り事をせず、傍で見守ってくれていたではないかと そう実感した瞬間、その温かさが身体の中に100%充満し、出会った 頃の想いが蘇って来るのを感じました。すると、姑や気嫌ってきた人たちへの苛立ちと怒りが消えて、この温かさを分けてあげたいいと思いました。

気持ちが軽くなり、幸せいっぱい。

でも、そんな簡単にはいきませんでした。きちんとそのお返しがやって来ました

久びさに会ったある友達が、なんとも冷たい態度。私に何か怒っているというのがはっきり分かる態度を示してきました。私は、全く思い当たらることがなく何人かの他の友達もその場にいたので、直接その友達に 何故 怒っているのか聞くこともせず、時間の立つのをじっくり待ち別れました。

そうか、こういうことか、私もその友達と同じ態度をずーっと何度も主人にしてきたではないか。だから、直接主人からではないが、波紋がこうやって 帰ってきたのだと気付きました。そして、何故、人から冷たくされると、こんなにも悲しく憤りを感じてしまうのだろうと考えました。ほんとうに体のエネル ギーを吸い取られていくように気力が失せてしまうのは何故だろう。答えは、やはり、自分の中にある自尊心でした。これが、そんな扱いをされるはずがないと 言う世界を作っていました。その友達を怒らせたのは、その友達が描いている私というイメージを私が裏切ったからではないだろうかとも思いました。そのことに気づい た途端、今まで、色んな場で、邪険に扱われたり、自分が邪険にしたりしたことが、細々思い出され涙が溢れました。
人は、自尊心を傷つけられると怒りが起こるのです。友達に私は、何をどうしたか いまだによく分かりませんが、その友達を傷つけたのは間違いないでしょう。

そして、一昨日、

ちょっとしたこの友達のことが引き金になり、ここのところ出ていなかったうつ的状態になりました。ただただ涙と無気力に襲われ、呼吸もしているのかどうか とき どき深呼吸をして意図的に酸素を取り入れなければならないような状態、考えることをしないように睡眠に入り、目を覚ますとまた、また深い憤りの涙で体力を 消耗してしまうという繰り返し。カナダで以前使っていた薬を手にして、これを飲もうかどうか思案していました。

主人たちが帰宅する頃には、やらなければならない夕飯の支度や、日本語のクラスの準備などやり始めたのですが、予告もなく娘が夕飯を早めに食べて 友達と遊びにいくとか、主人も急に出掛けなくてはならないとか、急き立てられ、慌ただしく夕飯を準備の中、盛りつけていたて夕飯をお皿ごとテーブルから落 とし割ってしまい、その大きな音と同時に抑えきれなかった感情がヒステリックに破裂し、主人と娘の前で泣き狂いました。全く、5年前にカナダの姑たちとの 共同生活を送った時代に起こった症状と同じでした。

言葉では、主人に昨日私の話を聞いてくれなかったからだなど、感情的に思ってもいないことを口走ってしまい、誰かのせいにしようとし、「また同じ ことが起きてる、ママはキチガイだ」と涙しました。娘も主人もしっかり無言で抱いてくれて、私の気が収まるのを待ってくれました。火山噴火の終えた私は、 ボーッとしながら しなくてはいけないことをしてるうちに穏やかになりました。きれいなものや、慕ってくれる物の数だけ数えていればいいのに、その真反対 の力にぼろぼろとなってしまう弱さは一体なんなんでしょうか。私は、傍目も自分でも 明るく天真爛漫的なあどけなさを持っていると思うのですが、こういっ た いわゆる落込みのツボに嵌ってしまうと、それらの明るい自分が偽物ではないのかと疑ってしまいます。

こんなことがあったのに、今は、すっかり平常に戻っています。昨日のパーティでみんなと楽しめたからでしょう。キャンセルせずに開いてよかったで す。あの映画も別れ話の最中には、とても上映なんて出来ないと思っていましたが、「ただ好きでいる」という想いが帰ってきてくれたお陰で 映画の中の夫婦の 私たちが、「お前たちの本当の愛情はこんなに詰まってるよ」と語ってくれた気がしました。
一度起こった物事は留まらないのだから、見送ればいい、穏やかに見送るには、楽しいものと一緒に同化し自分を消し続けるのが一番なのかもしれない・・・

まだまだ これから波紋を受けていかなくてはいけません。大きな波をいっぱい立ててきたのですから・・・・

でも、その受け方を昨日のパーティで教えてもらいました。人の中に溶けこみ楽しむことで・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

瞑想しているとき、一人会話を良くします。瞑想になっていないってことでしょうが・・・へへへ
最近は、こんな事 会話しました。


私;「辛い思いはもういいよ、なんで私はここに来なきゃいけなかったのよ!」

?の声;「おみやげ待ってるから、私たちへのおみやげ待ってるから」

私;「どんなおみやげ?」

?の声;「うん、私たちのティータイムに入れる角砂糖」

私;「角砂糖?」

?の声;「そう、角砂糖。ティーにちょっと入れて楽しむ角砂糖 だから 甘くて、きれいなのがいいの、苦いのやら辛いのは要らないの。たくさん集めてきてね。あなたは、そのためのお使いなんだから」


私がこの世に来たのは、角砂糖を集めるためのお使いかぁ・・・

2011-05-18

「あそぼナイト」やったよ~

先週土曜日の「あそぼナイト・餃子を食べながら見るもう一度観たいアニメ映画」無事終了。結局160個餃子作った。助っ人に一人来てくれたお友達とお喋り しながら、2時半から始めて6時くらいまで掛かった。ポテトサラダとヒーカマという野菜のサラダなども作った。へこたれたので、今度は、数の関係ないカ レーにします。ご飯持参式で・・・

参加者は、20人ほどでした、来ると言って来なかった学生たちのグループもあったので、予定より少なかったな。
人数が揃うまで紙芝居「おむすびころりん」を 無理矢理、日本語と身振り手振りでやって、それから 壁をスクリーンにして、「千と千尋の神隠し」 を上映。映画館みたいになったよ~~~、やっぱり みんなで一緒に大きなスクリーンで見るのは、なんかいい。地区の子供会のようでした。猫も参加して子ど もたちと一緒に絨毯に寝そべっていた。小さい子たちは、スペイン語の字幕を追うのが面倒くさいようで、途中で、眠むそう、始まった時間も遅かったし、次回 は、そういったことも考えよう
チャップリンの映画が いいかな・・・・

その日は、一日餃子作りと準備で、Rちゃんとのお遊びもキャンセル、予定していたマヤの瞑想も出席出来なかった。だけど、大ファンの助っ人のお友達とゆっくりお話ができて嬉しかった。

我が家の娘と旦那は、ちらりと顔出しただけ、私は次の朝まで、静かに おかんむりでした。全く協調性のない奴らです。民族の違いを感じます。??
助っ人の友人の旦那さんなんかは、「家族みんなで応援しに行かなきゃ」なんてまで言ってくれたというのに・・・・
いつもの如く、次の日、旦那は慌てて私の機嫌取り。以前から相談していた絵画のパネル作りをやろうと必要なものを聞きに来ました。私は、結構くたびれていて、その日はのんびりとしたい気分、いつものことながらタイミングが合いません。
民族の違いです。はははは、この思考は、なんかいいなと思います。諦めが尽きやすい。それでいいのです、我が家は。
「期待をしない」この事は大事なのです。

日本語クラスが今週は、びっちり入っていて、夜間のクラスの後は くたびれています。また、ゆっくり写真載せます。

昼間の子どものクラスで、今日はピタゴラスイッチ作りました。夢中になって、日本語どころか言葉を発しませんで、一応日本語なんかやろう、と、マ ジックボールが渦を巻いて落ちるところで、「うず巻」これ今日の勉強!にしました。毎回ですが、何か作って遊びながら日本語覚えさせています。なんかそう いう五感で学ぶのっていいです。娘とよく行った「こどもの城」のことが頭に浮かんできます。
大きな壁に好き勝手に絵の具塗ったり、工作やったり、民族楽器や手作り楽器で演奏会したり、木造ジャングルジムで満喫したり、シュタイナーを意識 した教育方針で運営された劇場付きの本当に、こどもの城 そのものでした。近くの表参道には、絵本のクレヨンハウスもあって、そこの自然食レストランで子 どもと一緒に、絵本を見ながら、食事したりしましたね。贅沢だったな~~~~

そういったものがレオンにも出来たら いいな・・・・やろかな・・・

お父さんたち向けに、居酒屋「あそぼナイト」も、いいな・・・
誰がママさんになるかだけど・・・それはナイトクラブか、アハ

とりあえず、これから少しずつ、我が家の一階のスペースは 成長します。

2011-04-30

「それでいいのだ」の金曜日

連休最後の金曜日、朝10時にメキシコ人のRちゃんがお母さんといっしょに来てくれました。Rちゃんは、知的障害で 最近 学校を変えてから、興奮するこ とが多くなって、薬を飲ませるように学校側から言われているそうです。お母さんは私が月一で習字を教えてる方で、そういったお子さんをお持ちだと最近知 り、身体を一緒に動かしながら、何か集中することを身につけるられないものかなとワークやってみようということに成りました。

今日は、その一回目。もう一人、日本語の話せるメキシコ人のお友達も来てくれました。すっかり猫ちゃんが気に入って、猫から離れないRちゃん。我 が家の猫ちゃんの一匹、スパークルは、肝が座ってる猫で、何されても動じなかった。やはり、師匠は違う。頭を三回くらい叩かれていましたが、「なんだコイ ツ」と、思ってる感じでした。Rちゃんの家の猫ちゃんは引っ掻くので、猫の頭を叩く癖が、Rちゃんにあるのだとお母さん。なるほど
私にも何度か、力が余ってギューと押したり、手を強く引っ張ったりしていました。
自分の意志を伝えようとしてるのがよくわかって、逆にいいこったなと思いました。

猫への接し方を私が見せて、床にゴロゴロして、猫とじゃれてみたり、ちょっと落ち着く音楽かけてみたり、Rちゃんが私を真似をし始め、いつの間にか、娘も混じって、みんなで、猫とごろごろ。
カレンダーの表紙の猫の写真を見つけ、みんなに「これこれ」と言葉は出ませんでしたが、教えてくれていました。そのうち眠くなったのか、私の膝枕でウトウト。Rちゃんが、お母さんにバイバイと手を振ったので、みんなで笑いました。

何が出来るかは考えず、楽しい時間を過ごせるアイディアをと 来週は、しいたけスープなどをRちゃんのお母さんといっしょに作ってみます。
私は何も出来ないけど いいじゃん。週一回、変な外人と遊ぶってのも。
お母さんだって、他人がこうやって、中に入ると気晴らしになるんじゃないかな。
私も、娘が自然と仲間に入ってきたことが嬉しかったし、ある意味見直しました。
みんなが帰った後、娘をいっぱい抱きしめちゃいました。

Rちゃんは、娘と同じ13歳、心は4歳のままなのかもしれない。
このワークを始めようと決めた時に思っていたことは、今日 一日で違ったものに成りました。「伝えよう、分かろう、分らせよう、伝え方を教えよう、助けよう」そんなモノは要らないです。次々面白いこと発見して一緒に笑う。
それでいいのだ。

自分でボタン付け、靴紐を結ぶ、そんなこと出来るように務めるより、笑うことに集中してみよう。何か、勝手にこっちが作業してることに興味をもつように仕向けてみよう。その瞬間、これはボランティアでも何でもない事に気付きました。
いわゆる、近所付合いです。心が軽くなり、Rちゃんは、Rちゃんのままでいいとそう思えました。いい子です。大好き。

受け入れて欲しい これは誰もが 一番してほしいことなんだな
これ沢山してあげると 今度は、してあげたくなるものなんだね、不思議と

夕方、主人の英語のクラスに友達がもう一人参加して、私を含めて3人。
もちろん私以外は皆さん良く出来る。私なりに ぼちぼちやる。このリズムなんだか身についてきた。焦らない。これ気持ちいい

へんな思い込みが薄らぐ・・・・・・
それでいいのだ。

2011-04-28

想像の世界大好き人間のやりかた

きのう、娘は、近所のお友達家族と遊園地のプールに出掛け、旦那と二人切りでした。と言っても主人は、二階でコンピューター、私は一階で絵を描いていてばらばらでしたが。

タイミングよく、日本語学校関係のお友達からお茶のお誘い!何でも日本へ留学した子が一時帰国してきて今から会うとのこと、その人は、以前、私も 学校の授業と個人で教えていた人。どれだけ日本語が上手になってるかなと楽しみに、さっそくセントラルで会いました。旦那が、楽しんできてと お小遣いを くれました。?
夜中に、私の大きなため息(空しいよ~)、が伝わったか?

再開した彼は、日本の京都の大学のこと、アパートでの暮らしぶり、他のラテンアメリカ人との交流の話。たくさん日本語でしゃべってくれました。 やっぱり、日本語上手になっていて、関西弁も披露してくれました。後もう二年は大学にいるそうです。卒業する頃には30歳になる彼、原発、地震の事もあっ て 彼のお母さんは、心配して帰って来いと言ってるそうです。

今は、日本にいた外国人たちが、次々と自国へ帰ってしまって、英語の教師が人手不足らしいです。ふーむ、旦那チャンスかな・・・メキシコより給料良いしな・・・と頭を過ぎりました。
ひどく日本へ帰りたい、今だからこそ という思いと、娘のためには、今は我慢という思いと色々、カナダに帰れないかな・・・そんなことも。でも、今やれることをこなすしかない。彼の話を聞きながら、そんなこと思っていました。

昼近くになって、「今からお母さんに ひじきご飯、作ります」と彼が言うので、カフェを出て、彼のお母さんの営んでるギフトショップまで一緒に行って、ご挨拶。
スパニッシュのダメな私に、観光で、ここにいるの?と言われてしまった。
もう3年近くも住んでるとは、恥ずかしくて言えない・・・もっと、地元の人と交流しなくちゃな・・・

彼とわかれて、お友達のショッピングに付き合った。なんだか、楽しかった。用がない限り、出歩かなくなっていたので、そんな感覚が懐かしい感じがした。
かなり、日差しも強くなり暑くなってきて、そろそろ ギブアップと、お友達の車で家路へ。お友達が、先日のバーベキューで色んなカップルに会えてとっても興味深かったと、独身の彼女の目を通して感じたことを話してくれた。
中でも私たちカップルがいいなと思ったと。 
ぎょっ 以外、はっきり言って、あの日は、バーベキューの場所取りの義務感でバリバリにテンパっていた私は、旦那の数々のトロさに爆発していたのですが・・・
友達曰く、ちょっとした会話にも、気の利いた、思いやりがあるというのです。
特に旦那が。そうか見直そう・・・そう思いました。

昨夜の夜中、ふと、娘が大人になり離れた後、主人との二人っきりの老後生活を想像してみて、大きな、そりゃ大きなため息をついてしまいました。創 造性のある会話もなく、日常的な会話もしなくなって、ただ、身の回りの世話を しかめっ面してやってるちっちゃな自分が見えたからです。

主人のいいところは、静かに非難せず観察してくれるところ、そして、過去をすぐ忘れてくれるところ。私が楽しくしてることを心から望んでいるところ。
そう思うと、他の細かな ついて行けない部分は、チャラにしてもいいかな・・・

東京にいた頃、育児で破裂しそうになったとき、旦那に「私の生活は、リアル過ぎるんだ~~~あ」と訴えたことがある。
進歩してないです。リアルだからこそ生活なのに・・・

創造の世界大好き人間には、玄関に投げ込まれたチラシを見て、「お、木曜日は、ここのピザ、セットで60ペソか!」と、可也、エキサイティングしチラシを大事に保管する旦那の姿を見たくないのです。
エキサイトの対象が違うだろと、頭から湯気出ます。

諸事情は、大変なのです我が家は、貯金を叩き込んだメキシコでの不動産投資もうまくいってないし、給料安いし、私の仕事も大してお金にならない し、そん中でも、なんとか創造的な事への土台になることを次から次とやって見ようとしているのですが、なんだか一人相撲に虚しくなります。 

というのは昨日まで。 

じゃじゃーん

私らしく好きなことやります。 飢え死にしない程度に。

旦那には、ごめん頑張ってと舌を出しながら・・・へへへ

これが「想像の世界大好き人間のやりかた」です。

てんつくマンさんのメルマガより   ~分かりやすい原発の仕組み~

それじゃ~ここから原発の仕組みを書くわな。

出来るだけ分かりやすく書くわ。

まず、原発に必要なんはウランちゃん。

日本は海外から毎年数兆円というお金を払って、
オーストラリアを中心にカナダ、ナミビア、アメリカ、最近は
カザフスタンと契約したんやで。

そのウランちゃんを原発さんの中にある原子炉おじさんの中で核分裂させて電気を作ってるんや。

この核分裂が暴走しないように制御棒っいうブレーキをいれるんやって。

このブレーキが利かなくなったら放射線から放射線が出まくる。

問題はこの原子炉おじさんの中で核分裂させた後やねん。

電気だけが生まれるんじゃなくてな、使用済み核燃料っていう放射性物質も同時に生まれる。

放射性物質のゴミやな。

これを土に埋めようと考えてたんやけど、どこもうちの街に埋めていいですよとは名乗りをあげてない。

それはそうやな~危険やからな~。

さらに今回で安全神話は崩れたんやからなおさらや。

今は青森県の六ヶ所村に絶対に埋めてもいいよって街を探すからって言うて一時預かってもらってるねん。

今までは埋めようと思ってんやけど、ウランちゃんがもう100年もないことが分かったんよ。

おまけに中国が原発を作りはじめたからさらにウランちゃんの消費がすごいことになってきた。

そこで、考えたのが夢の再処理というまぼろしやってん。

すでに日本はフランスにある再処理工場に使用済み核燃料を持っていって人工的に濃縮したウランちゃんを作ってもらって買ってるんや。

そこで日本でも再処理工場をつくろうと計画して六ヶ所村に作ってるんやけど事故ばっかりで8000億円から9000億円で作れるっていうてたのに、事故が原因ですでに2兆4000億円以上使っててまだ完成はしてない。

ちなみにこの4割が電気料金に上乗せして国民が払ってるんや。

再処理工場のメリットはな、使用済み核燃料を再処理すると、そこからプルトニウム親父がとれるねん。

ちなみにプルトニウム親父っていうのは核爆弾の原料になる。

日本はプルトニウム親父を持ってるから二週間で核爆弾が作れるって言われてる。

ちなみにこのプルトニウム親父が大問題やねん。

なんでってな、このプルトニウム親父の処理法を人類はしらんねん。

処理方法をしらんもんを作ってしまったんよ。

だから、穴を掘って埋めるしかないって言うてんねん。

このプルトニウム親父は放射線を出しまくる。

この放射線を匂いと例えたならば、この親父はめっちゃ臭い!

親父の近くにいったら臭すぎて人は死ぬ。

その親父の匂いが半分になる半減期は2万4000年。

こんなもんを人間は作ってしまったんよ。

また、この埋める場所も決まってない。

これが現実や。

さらに問題はそんなもんじゃないで~。

このプルトニウム親父を増やす為に福井県にもんじゅっていう高速増殖炉を作ろうとしてんねん。

この高速増殖炉にプルトニウム親父を入れるとプルトニウム親父が増殖するねん。

親父を燃やしたら親父が増えるっていうミラクルのように見えるわけや。

またなんでプルトニウム親父をつくるかというと、ウランちゃんがもう少ないから親父とウランちゃんを混ぜてエネルギーを生むためやねん。

それが、いわゆるプルサーマルっていうやつね。

今回の福島原発の三号機がそうなんや。

だから、三号機からプルトニウムが放出してしまってん。

このプルサーマル。

ウランちゃん9割、プルトニウム1割で燃やしてる。

だから、デメリットの割にはあんまりやわな~。

話はもどり、このもんじゅ大問題やがな。

政府が言うには笑ってしまうで。

もんじゅが実用化になるのは2050年ぐらいです。

おいおいーーーーーー

さらに、去年、もんじゅが事故を起こして、担当の係長が自殺までしてしまったんや。

だから、もう、これは完成せーへんと思うで。

今もどうやって修理したらいいか分かってないっていうがな。

むちゃくちゃですわ。

これが今の原発の仕組みと問題点。

分かったかな?

日本は脱原発を目指した新エネルギー大国になれる。

だって、技術がほとんど世界一位やねんもん。

ソフトバンクの孫さんもぶいぶい言わし、命かけて伝えてはる。

その孫さんの記者会見はこちら。

自由報道協会主催 孫 正義 記者会見
http://www.ustream.tv/recorded/14195781

いやぁ日本は面白くなってきたで。

ウランちゃんを買ってたお金で風力を作ったり、太陽光発電をつけたい人に補填をしたらいいと思う。

補助金を渡すんじゃなく、太陽光パネルを貸してあげて、その売り上げは全部、東電に売って、その売りあげを税金にしたらいいねん。

そしたら、国民はみんな電気代はただ。

国はソーラーをつけたら自動的に税金が入ってくる。

はじめは初期投資でお金はかかるが、その後、数年後には税金がどんどん入って来る。

そしたら、消費税なんて上げる必要はない。

なんやったら、もう税金なんかゼロになるかもしれんで。

電気を使ってたもんが全部安くなるから、物価がめっちゃ安くなって、あんまりお金を稼がなくても生活出来る世の中がやってくるかもしれん。

そんな世の中を創ろう~

※※※※※※※※※

4/25(月)  てんつくトーク in 滋賀

4/26(火)  てんつくトーク in 福岡

4/27(水)  てんつくトーク in 大分

田中 優さん、南ぬ風人まーちゃんも東北を回るよ~

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4/25(月) 滋賀県 てんつくマン チャリティー講演
○●○●○●○●○

「被災地の現状は」
まずは被災地の現状を知るところから始めませんか?

★日時
4/25(月)

17:30 個人様書き下ろし (3000円)
19:00 てんつくマン講演スタート(75分)
「被災地の現状は」
20:45 たかしま市民協同交流センター 仁賀定夫氏
「今、私たちにできることは」
21:00 終了


★場所
高島市新旭公民館
高島市新旭町北畑567

★参加費:無料

募金のご協力をお願いいたします。
め組みJAPANの支援活動に使われます。

★お問合せ
貫井亜記
himawarichan12@yahoo.co.jp


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4/26(火) 福岡県 てんつくマン・震災チャリティー講演会
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日時:4月26日(火) 19時~
場所:アクロス福岡2階セミナー室
(福岡市中央区天神1丁目1番1号)

★入場料:無料

☆当日募金のご協力をお願い致します☆
※募金は、め組ジャパンの支援金となります。

★申込締切
4月23日(土)まで
必ず守ってくださいね♪

★申込方法:メールでお名前をご連絡ください
(代表者以下何名という形でもオッケーです。)

★申込先
携帯 smile9023k.i.@docomo.ne.jp
パソコン priere0618@yahoo.co.jp
池田京子


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4/27(水) 大分県 てんつくマンチャリティーイベント
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★日時
4月27日(水)
開場 18:30 開演 19:00

★会場
保健福祉総合センター和楽 大研修室

★出演者
てんつくマン(NPOメイクザヘブン)
lightworker tsuyoshi(from大阪/ジャンベ奏者)

★入場料:無料・要予約
入場料の代わりに、義援金のご協力をお願いいたします。
お手数ですが、メールまたは電話にてお申込みください。

★主催
復興支援への一歩プロジェクト
080-3948-1753 (染矢弘子)

090-8356-1978 (狩生八重)
s_hirocom@ybb.ne.jp

2011-04-27

Omusubi-Kan  おむすび館     はじめたよ!

Omusubi-Kan おむすび館 http://nobubro.blogspot.com なるものを始めました。

ぼちぼちやっていきます。語学の乏しい私には無謀だけど、娘に協力してもらって英語訳も載せました。スペイン語までは、まだですが、そのうちに・・・

これと同時に、天使みたいに即興で踊る「天真爛漫ワーク」も始めます。
メンバーはまだ一人だけど、楽しくなると思う。このワークは、身障者も健常者も一緒となって参加していけるものにしたいと思っています。まだ、募 集を掛けていないので、女の子一人ですが、彼女は、俗に言われる知的障害で、学校を代わってから、落ち着かず、先生から薬を飲むようにと言われています。親 御さんは、私の月一回の習字クラスの生徒さん、薬はなるべく飲ませたくない。前の学校ではそうでなかった。なにか一緒に見つけてみようと、このワークを設 けることにしました。女の子には、一度会って見ましたが、ちゃんとコンタクトも取れるし、仲良くなったので、期待は掛けずに、やってみることにしました。 医療的なことではなくて、一緒に体を自由に解放させることを彼女から学びながらやろうとしています。あくまでもムーブメントクラスとして。

ずっと前から(去年から)、友達に頼まれていた絵の注文。「青い絵」この課題。なんだか全然乗らなくて、伸ばしっ放しでした。昨夜、眠れなくて、自分が撮った古い写真を眺めていたら、素敵なツタの絡まった木の写真が出てきました。
なんともいい感じの木漏れ日、早速、下絵を始めています。
「灼熱の太陽、優しい木漏れ日にしてくれる 葉っぱたち」とでも題をつけたい。

2011-04-18

Chernobyl               必見 チェルノブイリ被害

Peace Philosophy Centre

http://peacephilosophy.blogspot.com/p/chernobyl-million-casualties.html より抜粋

チェルノブイリの犠牲者は実は100万人近かったという科学者たちの研究結果についてのビデオ。予期するかのように、日本の震災の数日前、2011年3月5日に撮影されました。 本の紹介とロザリー・バーテル博士による書評




★日本語字幕版はこちらのリンクをご覧ください。http://www.universalsubtitles.org/en/videos/zzyKyq4iiV3r/

2011-04-17

心からの叫び!元原発技術者菊地洋一さん中部電力靜岡支店で訴えた

カルチャーウィーク

4月14日
娘の学校は、この週はカルチャーウィークと言って、文化的なことをやる週です。
昨日は、演劇に出演して、スペイン語劇やっていました。私はちんぷんかんぷん
赤いベストの男の子役が娘です。なんでも気弱な王様役らしいです。
ちなみに今日は、エジプトの文化をやるとかで、赤ワインがわりにぶどうジュース持って行きました。

途中カットしてますが、その劇の様子


一安心
4月16日
メキシコは朝方の4時です。なにやら胸騒ぎがして、眠れず日本のニュースを観ていました。特に何もなさそうで一安心

今日は、月一回のマヤの瞑想会でした。
セマナサンタの2週間のお休みに入ったので、パークには、いろんな出店やら、簡易の遊び場が出来ていました。だからか、参加者も多かった。娘も久しぶりに参加してくれた。ムーブメントの輪の中で、今回も即興ムーブメントをやった。風が強くて、気分は風一色。終わり近くになって、気づくと輪の中に青少年が沢山入ってきてた。一緒に気のボールを作って、空にかざした。身体の中の色んなところに花を咲かせて、ハッピーな気分で最後にした。マヤの瞑想のオリオンの輪の中心部にみんな集まって最後の祈りをし終わると土砂降りの雨が降ってきて、大急ぎで帰ってきた。

今は、娘を雨にぬらせるのが怖い。戻るとすぐにシャワーで一安心。

先程まですごい雷が鳴っていました。ほんとうに凄いのが・・・
それも、今は収まって、一安心

やっと寝れます。お休みなさい ・・・・・・・

2011-04-14

「ミツバチの羽音と地球の回転」    鎌仲ひとみ監督インタビュー

Groove Gendai Channel »  鎌仲ひとみ監督インタビュー  より

3月11日の東日本大震災発生から間もなく1ヶ月。
この間、3万人以上に上る死者、行方不明者の数と、 東北の被災地の惨状をニュースで見聞きし、心を痛める毎日だ。
そして、未だに福島原発の事故は先が見えない状況にあり、不安が広がっている。
グループ現代は去年から「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画を公開していた。
上関原発に反対する祝島の住民の方々の活動と、スェーデンで市民が実現した再生可能エネルギーのシステムを取材し、電力の3割を原子力に依存する日本社会への疑問を投げかける映画だ。
2003年から取り組み続けている原子力と放射能の実態を世界各地に取材した「ヒバクシャ」「六ヶ所村ラプソディー」に続く3本目の映画だ。
この3本の映画の監督で、今、各メディアに引っぱりダコになっている鎌仲ひとみさんに、今回の「福島原発事故」についてインタビューを行った。
撮影したままノーカットなので、38分程ある。
取材:荒木真登

鎌仲ひとみ監督インタビュー







映画「ミツバチの羽音と地球の回転」予告編

2011-04-13

SUNTORY CM 「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」全ver part2

やっぱり、この二つの歌はいいな~~
youtube 007FallenAngelsさんから


サントリーのページ
http://www.suntory.co.jp/enjoy/movie/d_s/880953901001.html

情報規制の理由、福島原発放射線

世界中から日本へ応援メッセージ

サイト上で応援メッセージを記入すると、Google 翻訳により日本語に自動翻訳される。それらのメッセージはサイトで閲覧することができ、投稿されたメッセージが世界地図上に表示される。
http://www.messagesforjapan.com

てんつくマンさんのメルマガより   ~こどもっちボランティアの巻~

宮城県石巻市からワンダフルモーニング!

今日の石巻は良い天気です!

ちょっと肌寒いけどね。

レベル7になって現場はどうなるかと思ったけど、現場はいたって冷静で昨日と同じやねんて。

その状況を聞いて昨日、山梨イベントが終わってそのまま到着。

今日は現場でがんばってるみんなの話を聞いて今、現場でなにをして、なにが必要なんかを聞いてくるわな。

2日前、東京イベントで石巻に三週間、入ってたクルーのるいるいの話はリアルやった。

小学校に行ったら小学生が胸にボランティアっていう名札をつけてて、

「どんなボランティアしてるの」って聞くと

「挨拶ボランティアです!」って答えるんやって。

みんなにおはようございます!って挨拶してるんやって。

その子達と話をしてたら、一人の子が

子ども達「おねえちゃんどこかきたの?」

るいるい「東京だよ」

子ども達「ディズニーランド行った事ある?」

るいるい「あるよ」

子ども達「いいな~」

子ども達「ねぇねぇ、スカイツリーって出来るんでしょ?もう観た?」

るいるい「観たよ」

子ども達「いいな~」

子ども達「東京って津波来た?」

るいるい「来てないよ」

子ども達「いいな~津波来なかったんだ」

当たり前のことが「いいな~」やねんな。

そんな子ども達が今、元気に挨拶運動をしてる。

こりゃ大人もがんばろうな~。

この世に小さな一歩なんてない。

その一歩が二歩目を教えてくれる。

だから、自分が思う小さな一歩、それを踏み出してゆこう。

石巻はガソリンスタンドが営業を開始していた。

お店もちょこちょこ空き始めてる。

今こそ1億二千万人の3歩で日本を元気にしよう!

2011-04-12

福島みずほ対談1 田中優さん「原発に頼らない社会へ」



田中優の'持続する志'
http://tanakayu.blogspot.com


//////////////下記は、てんつくマンさんのメルマガより転載////////////

山梨に向かう電車の中からラブリーーアフタヌーン!

さぁ今日も震災地に愛を贈ろう。

しかし、昨日からまた地震がどんどん起こってる。

そして、福島原発がレベル7にあがった。

このレベルは0から7の8段階。

つまり、一番、危険ですというレベルにあがったということ。

今後の政府の発表やいろんな専門家の情報を収集し、め組JAPANの活動もどうするかを検討するわな。

今、すぐに震災地に行こうと思ってる人はもう一回、いろんな情報を自分自身で入手し感情だけじゃなく冷静に判断してな。

7日に地震があってから福島第一原発の一号機から黒い煙が出始めた。

そして、凄い放射能の数値が出たのに、いきなり、機械が故障して数値が測れなくなったという。

詳しくはこれ!一号機だけ地震後、発表を辞めた。
http://atmc.jp/plant/rad/

そして、今日のレベル7。

まぁそういうことなんやと思う。

危険度が7になったと共に、自分の危機意識もあげなあかんで。

もうメルマガを読んでる多くの人が目を覚ましたと思うけど、まだ、政府の発表や政府のお抱え学者の楽観的な発表を信じてる人がいるけど、ほんまに自分自身で調べや。

愛する人がいるならば、ちゃんと自分で調べるんやで。

ほんまに何回も言うけど、ツイッターをしてや。

今、このツイッターは政府が介入してきて多くのツイッターが消されてる。

こんなことまでするんやな~。

それから、地震になれないようにね。

まさに油断禁物やで。

父ちゃんは本にも書いてるけど、人間は慣れの生き物なんや。

だから、すぐに慣れる。

昨日から東京やねってんけど、誰もマスクをしてない。

40歳以下の人は外に出る時には出来るだけマスクをしてよ。

特に子どもは必須やで。

父ちゃんは何回も愛を込めて伝えるよ。

今は冷静に最悪の事、ネガティブチェックをしっかりすること。

もしも、原発が爆発した時に自分は誰とどこに逃げるのか?

そして、しっかり、大きな鞄を買って、二週間分の食料をしっかり詰め込んでおくことやで。

やることやって、そして、ポジティブに生きること。

いざとなった時にこういう準備をしてたら、その人たちはパニックになることはない。

最悪はみんながパニックになること。

そうならんように、自分が冷静になって、人を助けれる自分になること。

その為には準備が大事やからね。

そして、万が一、いざとなった時には物に執着しないようにね。

大事なんは命。

それじゃぁ、豪快な号外を一緒にさせもらった中村隆市さんのメルマガ。

隆さんはずっと今日まで放射能のことを勉強されてる人。

めっちゃ行動の人やで。

事故評価 最悪のレベル7へ

NHKが12日未明に、「原子力安全・保安院は、広い範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されているとして、国際的な基準に基づく事故の評価を、最悪の「レベル7」に引き上げることを決めた」と報道しました。

海外の多くの専門家が3月下旬の段階から「レベル6以上」と表明していたにもかかわらず、経済産業省の原子力安全・保安院は「レベル5」をずっと変えようとしませんでした。

なぜ、もっと早く事故の規模が大きいことを広く伝えて、少しでも多くの生命を守るように行動しないのか。

なぜ、放射能の被害を大人以上に受ける子どもたちをできるだけ早く放射能から遠ざけて子どもを守らないのか、と憤りを感じていました。

ある人が、「選挙が終わるまで事故のレベルを上げることはしないだろう」と言っていましたが、その人の予想通り、選挙が終わったタイミングでレベル5からレベル7に変えることを保安院は公表しました。

選挙の結果は、都知事をはじめとして原発推進派の現職が多数当選しました。

長く原子力発電を推進してきた政党や電力会社が喜ぶ結果になりました。

今、日本人は、子どもたちや未来世代のために「何が一番大事なのか」ということを市民ひとり一人が考え、市民自らが決めるという意志を持たなければならないと思います。

今の政治家に任せていたのでは、子どもたちのいのちを守ることはできないと思います。

政治が脱原発という方向を示すことができない以上、私たちは国民投票という最後の手段を実行しなければならないと思います。

国民投票の実施に向けて、みんなで語り合うことから始めたいと思います。

※※※※※※※※※
というわけで、すでに国民投票の準備をはじめています!

5月から一ヶ月で一気に勝負をかけたいと思ってるのでいつでも動けるように準備しておいてね~。

さぁ今、日本のサムライ、撫子が動いているぞ~

今、動かずしていつ動く。

愛する人がいるのであれば

日本を愛しているながら

サムライ、撫子、今、動こう!

●○●○●○●○
東日本大震災チャリティーイベント
 『今こそ、日本再生』
~希望の未来を切り開こう~
★優ちゃんまーちゃん★全国ツアー♪
●○●○●○●○
講演:田中優
唄:南ぬ風人まーちゃんうーぽー
他、応援ゲストあり

原発から、自然エネルギーへ

笑顔あふれる、助け合いの社会へ

そして、自然と共に生きる、ライフスタイルへ

今こそ、日本は変わるとき

さあ、希望の未来へ

1億2千万人、心合わせて動きだそう

★☆★☆★☆★☆★☆

《第1弾 鹿児島→奈良編スケジュール》

●4月12日(火)鹿児島市・かごしま県民交流センター中ホール(300名限定)
18時半:開場 18時45分:開演~21時半
他出演:橋之口みゆき(め組JAPAN鹿児島チーム)
問い:橋之口みゆき 090-8417-1951


●4月13日(水)長崎市・長崎ブリックホール・国際会議場(500名限定)
18時:開場 18時半:開演~21時
問い:秋月よりこ 090-3605-6523


●4月14日(木)福岡市博多区・博多市民ホール(500名限定)
18時:開場 18時半:開演~21時
問い:NGO心援隊 090-5042-8818
協力:チーム侍、他
※協力出来る人を大募集


●4月15日(金)岡山市・岡山衛生会館『三木記念ホール』(700名限定)
17時半:開場 18時半:開演~21時終了予定
主催:NGOチームはるはる
問い:090-2805-9838(いしはら)


●4月16日(土) 奈良市・奈良県歯科医師会館(500名限定)
12:00開場 13:00~16:00
主催:風人の祭in奈良 実行委員会
問い:080-4241-4413 (すずき)

★☆★☆★☆★☆★☆

《出演&内容》

★田中優(未来バンク事業組合理事長、「ap bank」監事)
映像を通して、わかりやすくお話をします。
福島原発のこと、放射能の危険性や対処法のこと、原発に変わる自然エネルギーのこと。
これから未来への素敵なライフスタイルの提案と希望をお伝えします。
ブログ http://tanakayu.blogspot.com/


★南ぬ風人まーちゃんうーぽー(復興支援NGO「心援隊」代表、三線アーティスト)
沖縄三線の癒しの音と共に、希望のメッセージと生きる勇気を唄います。
また、福島原発の放射能から、赤ちゃんを守る活動や『福島☆復興プロジェクト』のこと、
西表島に太古から伝わる、人の生き方のメッセージを伝えます。
ブログ http://ameblo.jp/upo-nokiseki/

☆復興支援NGO『心援隊』の活動紹介
☆各地の応援ゲストの予定あり

★☆★☆★☆★☆★☆
★予約は要りません→そのまま会場へお越しください
 →込み合う場合は先着順となります

★入場は無料ですが、カンパをお願いします
 →収益はすべて復興支援に使わせていただきます

★☆★☆★☆★☆★☆

★各会場、協力してくれる仲間大募集です

◆すべての問い合わせ◆

主催:復興支援NGO『心援隊』
共催:NGO風人ネットワーク(♪ハピル隊♪)

TEL:06-6101-8818 FAX:06-6889-7731
メール:event@painukaji.com
HP:http://kajipito.net/shinentai/

2011-04-09

6年前のネットラジオから

今 気になる人、彗星捜索家の木内鶴彦さんが、6年前に こんなことラジオで言っていました。

*木内鶴彦さんのお声拝聴*(ネットラジオ)
http://kaonfu-getu.blogzine.jp/yoke/2007/11/post_1ea3.html


太古の水と木内鶴彦さんの情報
http://new-culture.net

木内鶴彦さんはこんな人
http://www.geocities.co.jp/forumsora/tsuruhiko_index.htm

いろんな人の意見を聞こう!そして自分で判断しよう!

てんつくマンさんのメルマガより抜粋
~今こはネガティブを楽しむ時の巻~


しかし、昨日はあの日本一危ないと言われる浜岡原発の近くでの講演会。

地元の人に話を聞いたけど、今、原発の近くの観光地はぼろぼろやね。

昨日のホテルは半分のお客さんが韓国人で今、韓国からのお客さんはゼロ。

そらそうやわな。

7日の地震で宮城の女川原発、青森の東北電力東通、原発六ヶ所再処理工場もトラブルが発生!

さらに福島原発1号機の原子炉で10万ミリシーベルト(100シーベルト)の放射能。
↓↓
http://atmc.jp/plant/rad/

ちなみに致死量は、7000ミリシーベルト(7シーベルト)だそうですけど。。

今ね、いろんなところでいろんな学者や専門家が放射能は大丈夫!みたいなことをテレビで言ったり、YOU Tubeで講演内容が流れてるんやけど、地元の人は信じてない。

だってそうやろ。

言ってる自分達は安全なところに住んでるんやから。

ほんまに大丈夫やで伝えるんやったら、まずその人たちが自分の子どもを連れて、原発の近くに引っ越しをしてあげることやと思う。

被ばくの影響が出るのは10年後って言われてるし、そして、癌になってもそれが被ばくが原因だとは分からんねんて。

だからね、父ちゃんは今、楽観的な発言を軽々しく言うたらあかんな~って思うねん。

言いたい気持ちはめっちゃ分かるよ。

不安を取り除いてあげたい気持ちは痛いほど分かる。

でもな、その情報が間違ってて、10年後にその情報がを信じてその地に残った人が流産だらけ、障害を持った子どもだらけ、病気だらけやった時にその専門家や今、そういう発言してる人って責任とると思う?

というか責任なんかとりようがないやろ。

だから、その気持ちも分かるけど、父ちゃんは今、それによってその情報を信じた政府が楽観的な情報を流すから結局、海外から政府は嘘の情報を流している。

ってレッテルを貼られて、インド、ブラジル、EUが日本からの食材は輸入禁止になったわけやん。

ほんまは今こそ厳しくせなあかんねん。

なんかさ、戦争の時に日本は負けているのに、その事実を知らせたらみんなががっかりして落ち込むから、新聞に日本は今、勝ってるって嘘ばっかり書いた時とおんなじやと思うねん。

この数字見ただけでそらあかんわっていうのがある。

それはね、野菜や魚介類の中にこれだけ放射能汚染したら出荷停止っていう数字ね。

ちなみにWHOの基準値は10ベクレル。

つまり、10ベクレル放射能汚染されてるのは食べん方がいいでって言うてはんねん。

チェルノブイリの事故の時、海外から来る野菜が放射能汚染されてて、その時に日本政府が決めた数字は370ベクレル!

つまり、370ベクレル以上、放射能汚染されてる野菜は日本は買いません!って全部、その野菜を輸出国へ返した訳や。

そして、今回、政府が出した楽観的な数字はこれだ。

野菜も魚介類も2000ベクレル。

2000ベクレルまで大丈夫よん。ってことや。

おいおい、なんやってん。

あの370ベクレルは!

この日本の甘い数字を見て世界が納得すると思う?

おまけにこの数字は震災後に決めてん。

父ちゃんは神戸の大企業の社長さんにこんなことを教えてもらったことがある。

会社として一番大事なんはネガティブチェックをとことんすることや。

その時は辛いし楽しくない。

しかし、そこをしっかり見て、具体的になにをするかを見つけ、後は120%ポジティブで進めって。

まさに、今がそうやと思うねん。

今はただの楽観主義ではあかんねん。

例えば放射能は大丈夫ですよっていう東京大学の先生方。

東京大学は東電から研究費として6億円以上もらっていたことが判明してる。

そんなお金出してもらってる人が真実を言える?

今度の都知事選に出る石原都知事は原発推進。

そらそうやろ。

東電の株の3、2%を所有する大株主(第5位)。

詳しくはTHINKERのホームページを見てよ~
http://www.thinker-japan.com

今度、THINKERチームと日本改革ミーティングをするから来てな。

そして、ついにきなくさい動きが出てきたで。

総務省のHPに、「東日本大震災に係るインターネット上の
流言飛語への適切な対応に関する要請」として、政府がインターネットのプロバイダーなどにおかしな情報については削除する要請を出してるねん。

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban08_01000023.html

ようするに原発がどれだけ危険かなどを書いたブログは勝手に削除してね~っていうこと。

言論統制をしはじめてるってことやね。

しかし、やってくれたがな、サムライ斉藤和義

自分の「ずっと好きだったんだよ」の替え歌で原発の歌を作ってん。

安全なんてずっと嘘だったんだよって歌ってる。
http://www.youtube.com/watch?v=b01yohRgfyc

ここにもサムライがいた。

話は戻り、今、楽観主義になる時期じゃないって父ちゃんは思う。

今はネガティブチェックをしまくる時期やねん。

特に子どもを抱えている親はね。

この前も書いたけど、今、外国から見たら原発=時限爆弾やからね。

さらにこの数字を見て。

1970年から2000年まで震度5以上の地震の数。

イギリス⇒0。

フランス、ドイツ⇒2。

アメリカ⇒322。

日本⇒3954。

安全神話が崩れた今、原発は時限爆弾と認知されてしまった。

今、政府は個人の発言を抑えてマスコミを使ってやっぱり原発は必要だよね大作戦を勧めてる。

国売新聞はまた、嘘の数字を並べて、世論は原発が必要という世論調査の数字を発表したりしてる。

マスコミに洗脳されんように、シンプルに国民みんなに聞いた方がいいと思うねん。

あなたは原発がほしいですか?それもともういりませんか?

国民が是か否かを決める日本初の国民投票が今、必要なんじゃないかな。

日本初ってワクワクするね。

これが実現したら日本人が戦後、ずっと洗脳し続けられてきた呪縛がほどけるかも。

今こそ、国民が国民の声で日本を動かす時かもね。

思うだけじゃなく

考えるだけじゃなく

語るだけじゃなく

祈るだけじゃなく

動く事。

動けば変わる!

こんな感じで2007年の豪快な号外は始まった。

ええか~

今こそ、日本人よ!浮き足立つな。

腹をくくれ。



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http://merumo.ne.jp/00518931.html

2011-04-07

いろんな人の意見を聞こう!そして自分で判断しよう! 


武田邦彦氏のホームページ から 
http://takedanet.com
ご質問と回答
http://takedanet.com/2011/03/post_ac85.html
Q.

今回の福島原発の放射性物質は全然問題なく、福島の野菜や牛乳も大丈夫だし、水も飲んで大丈夫だから、普通の生活をして下さいと言っている動画があります。

A.

こ のブログで再三、書いていますが、わたくしのスタンスは「これまで長い間議論を重ねて決めてきた放射線の安全基準とか法律を、事故が起こったか ら議論なしに変える」というのは危険であるということです。わたくしにも自分の意見がありますが全く触れていません. つまり現在のような危険なときに、 これまでの基準値を決める委員会で通らなかったような学説を唱えるのはあまり良くないと思うからです。この先生の主張が法律とかなりかけ離れているなら ば、その先生が「基準値を決める委員会に出席されてないか」、それとも「委員会でご意見が通らなかったのか」のどちらかだと思います。いずれにしても、長 く使ってきた我々の放射線障害に関する法律の値と異なることを言われる場合には、なぜ法律に自分のご意見が入っていないのかということもお話にならなけれ ばいけないと思っています。


Q.

今回の福島原発の放射性物質は全然問題なく、福島の野菜や牛乳も大丈夫だし、水も飲んで大丈夫だから、普通の生活をして下さいと言っている動画があります。

A.

こ のブログで再三、書いていますが、わたくしのスタンスは「これまで長い間議論を重ねて決めてきた放射線の安全基準とか法律を、事故が起こったか ら議論なしに変える」というのは危険であるということです。わたくしにも自分の意見がありますが全く触れていません. つまり現在のような危険なときに、 これまでの基準値を決める委員会で通らなかったような学説を唱えるのはあまり良くないと思うからです。この先生の主張が法律とかなりかけ離れているなら ば、その先生が「基準値を決める委員会に出席されてないか」、それとも「委員会でご意見が通らなかったのか」のどちらかだと思います。いずれにしても、長 く使ってきた我々の放射線障害に関する法律の値と異なることを言われる場合には、なぜ法律に自分のご意見が入っていないのかということもお話にならなけれ ばいけないと思っています。

2011-04-06

天真爛漫

先日、レオンに住む日本人のお友達ら3人と、朝カフェでお茶をして朝市で買い物した。海に汚染水を流すというニュースの後だったので、皆、口をそろえて、ここまで来たら、どうしていいかわかんないよね。多かれ少なかれ、放射能に汚染されるのは、時間の問題か?

やっぱり光合成で生きるウミウシ作戦は続けようと決心。

友達と、もう冗談言って過ごすしかない。てなことで、放射能に強靭な体になるか、放射能と反応して、逆に健康になるような薬を発明するか。色々言ったけど。気休めです。

家の子も含め、子供たちのことやこれから子育てをしていかれる方たちのことを考えると、心は張り裂けそうです。

その心を打ち消すかのように冗談にしようとする自分が不思議でした。

この日の夜は、日本語クラスがあり、セントロの学校に行きました。
そこでも やたら元気、
先のこと考える暇のない自分にしたい そうなのか?
いや、今、一瞬が大きいこと、人と居るのが大きいこと、息してる自分も愛しいそんなことなのかな・・・

学生の頃の自分が戻ってきた感じがしています。不思議
あの頃も違った意味で、先が見えずにいた
先に見えないその物の影が、希望と絶望の違いはあるが・・・・・
生きてるという実感がある


天真爛漫

死ぬまで天真爛漫

生きてるうちは天真爛漫

そして、天真爛漫のまま

天に行きたい

2011-04-05

<メガフロート活用> この記事に 「Yes!!!」

スーパーマンが現れたような、「Yes !!」という声が出そうなニュース

こんな案があったの、すごいぞ!と思うのは私だけ?

//////////////////////////////////////////////////////////////////
玉突き排水先を拡大、海釣り用メガフロート活用
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110404-OYT1T00580.htm

特集 福島原発
福島第一原発で使用されるメガフロート(2日、静岡市で、読売ヘリから)=永尾泰史撮影
海釣り公園として使われていた鋼鉄製の浮島「メガフロート」も原発の排水に活用へ 

東京電力福島第一原子力発電所の1~3号機で、空きのあるタンクを総動員した放射能汚染水の排水や移送が続く中、新たな“玉突き排水”が始まった。

建物をタンク代わりにしたり、静岡市で海釣り公園として使われていた鋼鉄製の浮島「メガフロート」(容量約1万トン)を活用したりする大がかりな作戦。

最も大切な原子炉の冷却を進める環境を整えるため、東電は懸命な作業を続けている。

1~3号機のタービン建屋内の汚染水を敷地内のタンクに次々に移動させるこれまでの玉突き排水は順調に進んでいる。2日までに、タービン建屋の 東側にそれぞれ隣接する復水貯蔵タンク(容量1900~2500トン)に残っていた計2800トンの水を、数百メートル離れた圧力抑制室用水タンク(容量 3400トンが2基)へ移す作業が終了。すでに1、2号機の復水器(同1600~3000トン)で満杯になっている水を、復水貯蔵タンクに移す作業が行わ れており、3号機も4日に始まる予定だ。
(2011年4月4日13時33分 読売新聞)


メガフロートの紹介は、こちら
http://www.srcj.or.jp/html/megafloat/index.html

子供と妊婦 守ってよ!!!

「国民の動揺を避けるため」はもういい加減やめてほしい。
実際は、国の責任を大きくしないための策略にしか思えないから。

子供と妊婦 守ってよ!! 事実を知ってれば防げる被爆だってあるんだから!!

国 放射性物質の予測公表せず
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110404/k10015080851000.html
この予測は、先月14日から15日にかけて、福島第一原発で爆発などが相次いだことを受け、国の委託を受けた分析機関が翌日の16日に 「SPEEDI」というコンピューターシステムを使い、計算されました。このシステムは、原子炉の温度や圧力などさまざまなデータを基に、原発から放出さ れた放射性物質の量を見積もり、気象データなどから放射性物質の広がりを予測するものです。分析機関では、震災で原子炉のデータが十分に得られないため、 その時点で公表されているデータなどを基に、放射性物質の放出量を仮定し、15日の午前0時から24時間にわたって放出されたと想定しました。その結果、 放射性物質は南西の方向に加えて飯舘村など北西の方向にも帯状に流れ、こうした地域では屋外で24時間過ごした場合に、乳幼児が受ける甲状腺の内部被ばく の量が人体に影響が出る可能性があるとされる100ミリシーベルトを超える所があるとしていました。SPEEDIは、原子力事故が起きた際に放射性物質の 広がりを予測し、政府が避難や屋内退避の指示などを決める際の判断材料にするために作られたものですが、この予測は公表が見送られました。これについて国 の原子力安全委員会は「その時点では、放射性物質が放出された場所や量などが特定できておらず、データが正確ではないため公表しなかった」としています


汚染水1万トン超、海に放出…やむを得ない措置
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110404-OYT1T00923.htm
東京電力は4日夜、福島第一原子力発電所で高い濃度の放射性物質を含む汚染水の貯蔵先を確保するため、低濃度の汚染水約1万1500トンの海への放出を始めた。

5日間かけて流す。

原子炉等規制法第64条にもとづく緊急措置で、経済産業省原子力安全・保安院は「危険を回避するためのやむを得ない措置」として了承した。

東電は「健康には影響はない」としている。今回の事故で汚染水を意図的に海へ放出するのは初めて。

放出するのは、4号機南側にある集中廃棄物処理施設内にたまった水約1万トンと、現在は冷温停止している5、6号機のタービン建屋周辺の地下水約1500トン。50メートルプール6~7個分に相当する。

廃棄物処理施設内の水には、放射性ヨウ素131が濃度基準の157倍にあたる1立方センチ・メートル当たり6・3ベクレル含まれている。5号機 周辺の地下水には、40倍の1・6ベクレル、6号機では500倍の20ベクレルがそれぞれ含まれている。こうした汚染水は、津波の海水や空中などに浮遊し ている放射性物質が溶け込んだものだとしている。
(2011年4月4日22時28分 読売新聞)

2011-04-03

【緊急報告】広瀬隆/広河隆一 「福島原発で何が起こっているか?-現地報告と『原発震災』の真実」



こんな記事もありました。

福島原発に関する報道規制及び言論統制状態まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2130183431868236701 より、

(2011.4.2)上杉隆『「ニュースの真相」で、電事連から、反原発の人(広瀬隆、広河隆一両氏)を使わないでほしい、その場合は基本的に広告を下げる、と正式に要請があった。』

ドイツ気象庁(DWD)による粒子拡散シュミレーションの日本語訳

日本では発表されてるのかどうか分かりませんが、今後の放射能影響からの自己防止に役立つものだと思います。

是非 活用してください。

ドイツ気象庁(DWD)による粒子拡散シュミレーションの日本語訳
http://www.witheyesclosed.net/post/4169481471/dwd0329


??????????????????????????????????????????????????????????????

なるほど、発表されない事実がこれでわかりました。

日本気象学会 放射能情報隠ぺい
http://echinacea.tea-nifty.com/verde/2011/04/post-8c2a.html


責任放棄?日本気象学会理事長コメントから見る「放射性物質の拡散予測が出てこない理由」
http://getnews.jp/archives/108316 

・・・・上記ページから抜粋・・・・

簡単に言うと責任放棄です。情報をどう出せばパニックを最小限に出来るか(例えば台風の予報進路とか)という推薦をする代わりに、全てを隠匿というのは危機に際して全くの責任放棄としか思えません。

個人的にはシミュレーションモデルが一人歩きする怖さよりも、何の情報も与えない方がパニックを起こす訳で、しかも海外のシミュレーション(僕のサイトか らリンクしているだけで4つもあります)の読み方を解説せずに、『正確なシミュレーションが出来るまで何のアクションもしない』というのは、科学者として 無責任過ぎるというのが僕の考え方です。ちなみにノルーウェーは研究所の同僚が推薦してくれましたが、フランス、ドイツ、オーストリアは全て他のサイトか ら拾って来たもので、もしも僕があのような文章を書かなかったら、そのシミュレーションがそれこそ勝手に一人歩きして混乱に陥っていた筈です。正直言っ て、気象学会の文書には失望しました。
(スウェーデン宇宙物理学研究所 山内正敏さんコメントより)

山内正敏さんのサイトはこちら
「放射能漏れに対する個人対策(改版)」
http://www.irf.se/~yamau/jpn/1103-radiation.html

2011-04-01

「あなたがくだらないと思っている今日は、昨日亡くなった人が、何とかして生きたかった、なんとしてでも生きたかった、今日なんです」



Check this video out -- ライブ&セッション「sakura」弓削田さんメッセージ http://t.co/OXteJa4 via @youtube より

弓削田さんの このメッセージ 今 とても実感できます

「あなたがくだらないと思っている今日は、昨日亡くなった人が、何とかして生きたかった、なんとしてでも生きたかった、今日なんです」

彼は ある御坊様から この言葉を聞いたそうです。

////////////////////////////////////////////////////////


毎晩、涙して「今日も無駄に生きてしまった」と嘆く時期が昔ありました。
また、あの後悔を味わいたくなく、今を生きようとしています。

物質社会に適応できない自分は、どこか変だと思っていました。
結婚して、家族ができても それは変わらず、どこかで、合わせている自分にくたびれていました。両立ができて、中途半端な自分に飽き飽きもしていました。

今、はっきり 合わせるのではなく、共存していく方法があるのに気付きました。

それは、今回の大きな悲惨な出来事で、人の心の中心は、皆同じだと確信できたから、出来るようになったことです。

「相手を認める」ことでした。

決断を人に委ねれば、不満と不服と後悔が生まれ、駄々をこねるしかないけれど、自分で決断し判断すれば、誰も責めずに済むばかりか、自由な清々しい強い心を得られます。怒る必要もなくなります。
そして、否定も肯定もなくなり、「認める」 だけが残ります。

この大きな災難が起こり、家族、友達、多くの被災者の人達の事で心がいっぱいになったとき、自我が小さくなり、何かを取り戻せたような気がしました。

そして、周りを見て、変な安心感も湧きました。

~~~~こんなこと浮かんできました~~~~

本当に困ったとき 必ず助けてもらえる
だから、本当に困るまで、自力でやる

期待は要らない
だから、期待外れもない

信用も要らない
だから、裏切りもない

必要なときに
必要な分の愛がある

大きくもなく 小さくもなく
必要な分

眼に見えないけど
必ず そこに在る


必要なときに いつでも出せるように 気づいた愛は 貯金しておこう!

気づくための毎日は、そんなに無駄ではない。

くだらない今日ではない

そう思えてきました・・・・

2011-03-31

日本初、エネルギー自給自足めざす島
「原発いらない。自分で作る」
週刊朝日2011年3月4日号配信

http://www.wa-dan.com/article/2011/03/post-77.php より抜粋

「80年代に国民投票で脱原発のエネルギー政策を選択したスウェーデンでは、電力自由化が実施され、電気が選べるようになりました。既存の原発で 作られた電気と、エコマークのついた自然エネルギーのどちらを使うかは、消費者の選択に任されている。自然エネルギーをベースにした電力供給のベンチャー が次々と立ち上がり、より安く安全なエネルギーを誰もが意識的に選べるのです」(鎌仲監督)



いらなくなった原発どうすれば・・・・・

原発から出る放射性廃棄物の最終処分場を 建設中の国がありました。


映画『100,000年後の安全』2011年4月2日(土)渋谷アップリンクにて緊急公開!

http://www.uplink.co.jp/100000 より抜粋

本作品はフィンランドのオルキルオトに建設中の、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場"オンカロ(隠された場所)"と呼ばれる施設に、世界で初めてカメラが潜入したドキュメンタリー作品です。

高レベル放射性廃棄物は安全な状態になるまで、10万年間かかると言われています。フィンランドでは、固い岩盤を掘削し地下500メートルにまる で地下都市のような巨大な施設を、自国の原発から出る放射性廃棄物の最終処分場として作る事を計画しています。現在の段階では正式に運用されるのは 2020年を予定しています。

2011-03-29

石巻 湊小学校の卒業式

てんつくマンさんのメルマガから

○●○●○●○●○●○●
日本復興チーム、め組JAPANの石巻の本拠地からソクサバイ!


今日は、め組JAPANも支援に入っている湊(みなと)小学校の6年生、36名の卒業式でした。

式場は校舎1階の図工室。

1階の天井まで来た津波で、その図工室の中には、数日前までは津波で押し流されて来た1台の車と泥で、とても式を行えるような状況ではありませんでした。

そして、学校を包む雰囲気もとても卒業式を行えるようなものではなかったそうです。

でも、『それではこどもたちがかわいそうだ。』

『こどもたちにエールを送ろう!』

と、式を行うことを決めたそうです。

しかし、体育館はとても使えるような状況じゃない。

そこで、先生や父兄の方、め組やボランティアの方々が力を合わせて、図工室の中にあった車を外に出し、泥を片付け、窓を何回も何回も拭いて、、、 飾り付けもして、今日の卒業式が行われたのでした。


今日は学校中に感動の空気が溢れてて、図工室のなかは、始まる前からすすり泣きが聞こえていました。

校長先生からひとりひとりに手渡された真っ赤な卒業証書。

それは、なんと被災から17日間水の中にあったそうです。

でも金庫の中に入れてあったため、ほとんど綺麗な状態でこどもたちの渡すことができました。

校長先生は、ひとりひとりの生徒に力強い言葉をかけ真っ赤な卒業証書を渡していきました。


最後に校長先生は卒業生へこんなメッセージ贈りました。

『夢であってほしいと願っている人がたくさんいます。でも現実は現実です。変えることはできないんだと思います。変えることが出来るのは、みなさ んの未来。生きていればできることはたくさんあります。ここから出発です!ここからがスタートだ!という気持ちを持ってほしいのです。こんな人間になりた い!
と いう夢を持ち努力を続けていってください。』


先生のこころからの未来への励ましのメッセージに、胸が熱くなりました。



そして、式の最後にこどもたちの歌で会場は涙の渦に。。。

こどもたちは2つの歌をうたってくれました。

その歌詞を少し紹介しますね。


~~~~~~~~
ぼくらの前にはドアがある。

いろんなドアがいくつもある。

ドアを大きく開け放って広い世界に出て行こう
~~~~~~~~



~~~~~~~~
自分がとてつもなくちっぽけに思える時があるよね。

もう2度と心から笑えないような悲しいことがるよね。

明日になって空が晴れたら

自分を好きになってまた歩き出そうよ。



優しい言葉も役に立たないことがあるよね。

つらいこと乗り越えて いつか見えてくるものがあるよ。

そしたらあなたはもっと素敵になってる。

スマイルアゲイン

うつむかないで。

どんなあなたもみんな好きだから。
~~~~~~~~


そこは、石巻のなかでも被害が大きかった港地域の小学校で、

たくさんの方が亡くなった地域で、

小学校には今でも瓦礫や、押し流されてきた車がたくさんある場所で、、、

自分たちもすごくすごく恐い思いをしたのに、

きっと、家族や親戚を亡くした子だっているはずなのに、

こどもたちが未来への希望あふれる歌を力強く歌っていて、

それが図工室とみんなのこころに響き渡っていて、

涙が止まりませんでした。


式の後は、校庭に自衛隊の方や、先生、避難されてる方など、数百人が待ち構えていて!

そのアーチのなかをこどもたちは通って行きました!

ほんとにほんとに感動いっぱいな湊小学校の卒業式でした。


今日卒業した36名のこどもたちの未来がキラキラ輝いていますようにと、今はその願いだけがこころに大きく広がっています。

みんながんばったね!卒業おめでとう!!

素晴らしい未来に向かって羽ばたいて行ってください。

━━━━━━━━━━━
MAIL by 宇宙の子☆マサ
━━━━━━━━━━━

活動→ http://amba.to/ig0p0h

メルマガ →http://merumo.ne.jp/00552708.html

日本そして世界へ ホピ族からのメッセージ

2011-03-28

「WONDERFUL WORLD!祈りと希望の花プロジェクト!」

てんつくさんのメルマガより、なんか救われた、ありがとう てんつくさん



※※※※※※※※※

MAKE THE HEAVENが今回立ち上げた「め組JAPAN」では
皆様から頂いた寄付金の「100%を」直接支援として
被害地の皆様の生活の向上物資の配給などに使わせていただきます。
(これには現地までの輸送、通信費などの経費も含みます)

尚、25%までは現地、本部事務所の経費
運営費などにも使わせて頂いております。

振込先は最後に紹介させていただきます。

※※※※※※※※※


そうそう、昨日ね、ある人からステキな話を聞いてん。

そしたら、そのアイデアに刺激され
めっちゃステキなアイデアが浮かんでん。

ちょっと聞いてくれる?

阪神大震災の時、とあるもので
たくさんの人が癒されたんやって。


それは「花」


恥ずかしながら、その発想が自分の中になかった。

確かに花はいいよね~。

花はめっちゃ心を癒してくれる。

これやって思った。

そこで勝手に思いついた!

「WONDERFUL WORLD!祈りと希望の花プロジェクト!」

同じ日に、世界中みんなで花の種を植えるねん。

ひまわりでもいいし
違う花でもいいし

避難所や、いろんな街の土にどんどん種をまいてゆく。

今な世界は混乱の時期にあると思うねん。

日本では今回の東日本大震災

鹿児島や宮崎の火山の爆発

口蹄疫に鳥インフルエンザ

他にも災害、人災だらけ。。。

韓国でも口蹄疫でめちゃくちゃ豚さんが処分されたんやけど
薬が足りなくなって、大きな穴を掘って生きたまま埋めてしまったり。

リビアでは、誰も殺し合いなんてしたくもないのに
悲しみの血がながれはじめたり。

この前のニュージーランドの地震も含めて
世界中で今、混乱が起こっている。

今、大事にせなあかんのが
この不安に飲み込まれず、落ち着く事。

松山千春さんがこんなことをラジオで言うたんやって。

「知恵があるやつは、知恵をだそう!」

「力があるやつは、力をだそう!」

「金があるやつは、金をだそう!」

『自分は何も出せないよ』ってやつは、元氣出せ!

※ニュースソースはエントモさんのメルマガ

00543862s@merumo.ne.jp(空メール送信)

しびれた。

今ね、多くの優しい人が

「私はなにも出来てない」

って自分を責めてはるって、昨日ナニメンから聞いた。

もしも今、そんな人がいたら
今、すぐに花の種を買って来てな。

そして、その種を植えてほしい。

土がない都会の人はプランターでもいいし

カップラーメンとかのプラスチックの入れ物の中に土を入れて
そこに種を植えてほしい。

さらにね、その花は出来るだけ
歩いている人が見えるところに置いてほしい。

そのあなたが植えた花は沢山の人を元気にする。

それは直接、震災地の人を元気にすることじゃないかもしれん。

でも、その花に勇気や元気をもらった人が動いて震災地に行って
あなたの代わりに誰かの力になるかもしれん。

今ね、大事なんはアクションを起こすことなんや。

それはどんなことでもいいから。

そして今、気をつけることは人と比べない事。

人と同じことをしようとするから凹んだり、自分を責めたりするんやで。

一人一人、みんな違っていい。

やれることの中からやりたいことをやったらいい。

その心が優しくなること。

穏やかになること。

ワクワクすること。

ウキウキすること。

そう、あなたがまず元気になることをしたらいいねんで。

やろう。

これはある意味、自分プロジェクト!

誰かの評価なんて関係ない。

正しい間違いにとらわれなくてもいい。

あなたのプロジェクトを自分の中で立ち上げて。

マザーテレサはこう言いました。

『私たちは、この世で大きいことはできません。
小さなことを大きな愛をもって行うだけです。』

さすがマザー。

最高のメッセージをマザーはこの時代に残してくれた。

今、世界中に不安の風が吹いている。

そこで、世界中が一つになることをしたいって思ってん。

世界中が平和の祈り
復興の祈りを花に託して、その種を植える。

震災された人と一緒にやりたい!

祈りと希望の花。

天国にいるあなたに

遠く離れたあなたに

そして、目の前にいるあなたの為に届けます。

その種から芽がでてるのを見たらめっちゃワクワクすると思うし
花が咲いた時、めっちゃ元気になると思うねん。

瓦礫だらけやったところが、花でいっぱいになるねん。

震災地に来る人はぜひ、種を持って震災地に来てほしい。

震災地に来れない人も、種を買ってどこかに植えてほしい。

震災地に大量のひまわりの種を送ってもらえるのであれば
め組JAPANのHPに載っている運送屋さんに送って下さい。

「WONDERFUL WORLD!祈りと希望の花プロジェクトの種」

って段ボールに書いて

「宮城県石巻市湊小学校てんつくマン行き」

って書いてちょうだい。

震災地の人に呼びかけながら種を植えるわ。

種を植える日はまだ未定。

震災地に戻った時にやろうと思う。

今はとにかく家の中のヘドロだしが一番必要やから
まずはそっちに力を注ごう。

瓦礫に変わって街中に花が咲く。

イメージしたら泣けてくるわ。

世界で戦争してる人が銃をおいて、花の種を植えたりなんかしたら泣けるわ~。

「WONDERFUL WORLD!祈りと希望の花プロジェクト!」

この前のメルマガにも書いたけど
ひまわりは放射能を吸い取ってくれる力があるから
ひまわりを多めに植えれたらいいな。

あなたの地域で、ぜひ自発的にみんなで花を植えてな~。


○●○●○●○●○
今こそあなたの力が必要だ!
日本復興チームめ組JAPANより
○●○●○●○●○

物資の情報やお手伝いの申込も下記から!

▼め組JAPAN
http://maketheheaven.com/megumijapan/
※応援グッズも取扱中!

▼情報提供は下記からどうぞ
http://maketheheaven.com/megumijapan/?p=473

節電 「アースアワー」のライブコンサート

3月最後の土曜日、アースアワーのこと、友達からメールで教えてもらっていたので、やってみた

旦那は親戚のパーティへ 娘はベビーシッターで、家には、私一人、

隣家の壁に囲まれた、吹き抜けみたいな庭に出て、真ん中にロウソクを置いて、腰掛け、小さな四角い夜空を眺めた。

度胸の座ってるメス猫スパークルがやってきて、不思議そうにロウソクへ近づき、クンクンしはじめた。「火 怖くないの?」。
後からやって来た臆病虫のオス猫ムーンライトくんは、私の後ろ方で、デカく固まっていた。

歌でも歌うか・・・此処のところ、原発の暴露問題で、ふさぎ気味だったから。そんな気になれたのが嬉しかった。
隣家には、丸聞こえ、アメージンググレースをスキャットで、英語わかんないから。

現地の人達、日本の家族や友達、メキシコのお友達、カナダのお友達、みんな、みんな心を痛めてる。なんでこうなちゃったんだろうと思いながらも スキャットだけど歌ってみたら、何かが心の中に ぽっと生まれた。

今度は、猫ちゃんたちへ歌った。「この広い野原いっぱい~」。また、ぽっと何かが、心の中で生まれた。
今度は、庭の植木たちに向かって、「大きなのっぽの古時計おじいさんの時計~」。植木たちにも 最近 話しかけてなかったな・・・手入れも怠ってるし。「ごめんね」と付け足した。

電気のない小さな野外コンサートは、近所迷惑を一切気にせず、盛り上がった。

鼻歌って幸せな気分の時つい出ちゃうけど、先ず歌ってみるってのも いい気分になる

歌は、怒りを 心の花にしてくれる。

心の花束を抱えて、植木さんたちと猫たちに笑顔で挨拶、コンサート終了。
カーテンコールはなかったけど、満足

日本での現実は、私の想像以上に過酷だろうけど、

みんなの心の花が枯れないようにと 祈るばかりだ・・・

2011-03-27

被災地へ医療スタッフとして行かれた方のブログ

沢山の方に読んでもらいたい記事です。泣き顔
被災地へ医療スタッフとして行かれた方のブログ



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3月11日
午後2時46分。
東北関東大震災。



被災地の皆様、被災地以外でも様々な影響を受けている皆様、
1日も早く元の生活に向けて復旧しますようお祈り申し上げます。
多くの犠牲者の方々、心よりご冥福をお祈り申し上げます。



今回放置状態だったこちらのブログを一時的にアップしたのは理由があります。

3月15日
私の勤務する病院でも災害対策支援医療チームが発足されました。


救命センターの中から私も被災地に行くことになり、16日から23日までの第一陣のチームで
そこで見たものや
感じたこと、どうにもならないこと、
私なりの文章でお伝え出来ればと思います。



決してきれいごとではなくて
どんどん増えていく被害状況や泣いている人を見て自分には「今」何が出来るか
何をすべきかあの地震の日からずっと考えていました。

この仕事をしている以上、きっと何か出来るんじゃないかとずっと思っていて
オファーが来たときは「これだ!」と思いました。



前日に資料を配られ医療チームでの協議に参加。
荷造りに必要なものの中に財布やお金は不要と書かれていました。
持って行っても使い道はない、食事や睡眠は確保出来ないと思う事、トイレも仮設トイレは被災者優先と。

そして他院のリーダーナースとして指揮をとる方からの挨拶。

『想像以上に現場は壮絶。甘い考えやボランティア精神の人はここでリタイアしてください。

現場ではどんな状況下においても絶対に泣かないこと。
私達は同情しに行くんじゃない。看護、医療を提供しに行く。あなたたちが泣きたい気持ちなんかより
現地の方々はどんなに泣きたいか。こんなに裕福な東京医療チームの涙なんて現地の人には迷惑や嫌味だからね』


へたれな私はもうこの時点でドヨーンとした思いでした。


ばっちりメイクの先輩も名指しで呼ばれて

『化粧なんてして来ないように』



協議が終わって部屋に帰ってからは不安な気持ちを紛らわせたくて
お友達にメールしたり
被災地に行く宣言をすることで自分に気合いを入れていました。


しばらくあったかいものも食べられないと思って
つけ麺も頑張って2玉食べました(´`)



実家も被害を受けていたけど様子を見に行きたくても交通機関が復旧していなくて帰れないし

医療チームとして明日から被災地に行くことを母に電話して
背中を押してもらった気持ちになりました。


『実家のみんなはピンピンしてるから
困っていたり大変な思いをしている人の力になってきな~』と言われてすごく元気になりました。


もちろん出発前夜は何回も荷物の確認をしたり
明日からのことを考えてあんまり眠れず朝を迎えました。


そう、一時的にこちらを再開したのは医療支援に行くからには私が見てきたものや感じたことをみんなに伝えなくてはと考えて
その日その日が終わるたびに携帯メールに日記を残すことを決め、まとめてこちらに載せようと思ったのがきっかけ。

なかなか文章ではあらわせないことばかりに向かい合ってきたので
うまく伝わらないと思いますが・・・・。

3月16日


出発日に自分の行く場所を発表されました。


「あなたは陸前高田」



被害の大きかった岩手県の陸前高田への医療班を告げられ空路で移動。


先輩たちは福島、宮城とそれぞれチームが分かれました。



東京の病院から各チームごと
点滴、薬、包帯、湿布、オムツ、ナプキン、ガーゼ、マスクetc
1万単位の数であらゆる物流手段で移送。
一万個、一万本、一万枚がこの後全然数が足りないことも知らないまま。。。



いつも仕事で着ている白衣ではなくジャージのようなスモッグにNURSE・看護師と印字されたユニフォーム。



空から見ても栃木を越えたあたりかな?
福島上空になると屋根が壊れた家や街並みが増えてくる。原発も見ました。
指揮官ドクターに「海沿いをずっと見ていくと分かるよ」「あれが仙台市内かな」

お友達が住んでいる、何回も行ったことがある仙台の街並みが一変していました。


みんなから「無事」や「大丈夫」メールをもらったけど、
大丈夫じゃないじゃんと
やるせない思いです。



上空から仙台市内の様子を教えてもらうたびに
次第に無口になってく機内。



次第に岩手の三陸地方の街並みに。
足がすくむ思いでした。
まるで水に浸かった焼け野原です。


他人事に聞こえるかも知れないけど「これが日本なんだ、東京からもそこまで離れていないのに」と
これから自分が向かう場所がすごく怖く感じました。




それと同時に
自分は足手まといにならないか不安な気持ちも強くなっていきました。




現地に到着するとそんな不安な気持ちになっていられないくらい過酷な毎日が待っていました。

陸前高田に降り立ったときの印象はぬかるんだ地面と瓦礫の山。

津波の被害で壊滅的の場所です。
本当に何もなくて
残っている建物も廃墟と化していました。

5階建てマンションの5階にまで泥や船の備品が突き刺さっていて何度も目を疑いました。



何の匂いだろう?
焦げ臭い匂いがつーんと鼻に抜けていきました。


あとすごく静かでした。
報道のヘリや自衛隊のヘリが上空を旋回している音だけが響いている感じ。



雪が瓦礫の山に積もっていて、ずっとしんしんと降っていたけど寒いという感覚よりも恐怖のほうが強かったです。
足が震えていたのは寒さでなく恐怖でだったと思います。




一分間黙祷をしながら
もっと早く来るべきだったと思いました。


避難所や病院に行く前に
ざっと市内を案内される。


ここは商店街でした、
ここは郵便局だよ、
ここはおいしいラーメン屋、
ここは公民館、
ここは幼稚園、、、


ただの瓦礫の山。


15m
くらいの真っ黒な津波が往復して全てを飲み込んでいったとのこと。
避難勧告が出て準備をしていたり、逃げる最中にみんな流されて行って
誰かのせいにすれば少しは矛先が出来て醜い感情を出せるけど、天災だから怒りの持って行き場がないと言っていました。


年に数回海を敬うお祀りもあっていつも海に感謝をして暮らしていたんだよ、それなのに・・・と
現地の人は案内しながら涙を流していました。

もうこの時点で私も泣きそうだったけど、絶対泣かない約束だったから
現実から目を背けて曇った空ばかり見ていました。


案内する人の後ろをずっと手をグーにして肩をすくめてついていきました。



風が吹くとどこからか
セピア色の写真や赤ちゃんの写真付きの年賀状が足元に飛ばされてくる。



そして一歩二歩歩くごとに赤い旗がヒラヒラ揺らいでいる。
しかも数えきれないおびただしい数の旗。



「この赤い旗は遺体が見つかった場所に立てられています」



正直つらかったです。



ある旗の前に佇んでいるお婆さん。
私のお婆さんと同じくらいの年だったかな?



「東京の看護婦さん、
ここにおじいちゃんが戦後一生懸命働いて建てたおうちがあったんだよ、
おじいちゃん病気ひとつしなかったのに死んじゃったよ」


人間の感情があるから泣くなと言われても無理でした。


リーダーナースが飛んで来て私の耳を引っ張って車の陰に連れて行かれて
すっごくおこられました。怒られようがもう自分は素直な感情でここでやっていこうと思いました。


テレビで映されているのは報道規制のなかの範囲内でそれでもあの映像。


映されない、テレビで流せない現状をこの目で見てきましたがそれはもう地獄でした。

案内されている隣で
自衛隊の方が瓦礫や木材をどかすと泥だらけになった遺体が必ず出てきて。

この光景は一生忘れないし
忘れてはいけないと思う。

瓦礫や木材と言っても数日前は誰かの生活の一部だった家や道具や誰かの宝物です。

その下から続々見つかる遺体。

そのたびに手を合わせる自衛隊の方々。そして偶然居合わせてしまった私たちも合掌しました。



初日はあわただしく避難所をまわってお年寄りの血圧測定と健康相談でした。

無我夢中で多分、私に笑顔はなかったんじゃないかな。
高齢者が多いな、という印象でした。


電気が復旧していないので暗くなる前までに1人でも多く血圧を測ってあげたくて本当に無我夢中でした。


脈をとっていると私の手を握り返してきて

「孫と同じくらいだな、看護婦さん。あったかい手だねぇ」

とそのまましばらく目を閉じているお婆さん。


両手を合わせて拝んで
何回も何回もお礼を言うおじいさん。


寝たきりなのに飛びきりの笑顔を見せて起き上がろうとするおじいさん。


美味しそうに小さなおにぎりを食べる子供たち。


毛布に包まって眠る赤ちゃん。


健康相談では「体育館では眠れないよ」
「親類と連絡がとれなくて眠れない」
と眠れない訴えが多く
血圧も高めなかたがたくさんでした。


すっかり暗くなる頃には
私の腕が上がらなくなっていました。


10
数ヶ所の避難所、それでもまだまだたくさんまわれなかった避難所と救護所だらけでした。



あとから聞いたのですが
私は初日だけでも数百人の血圧を測ったらしい。



でも全然足りないくらい、測ってあげられなかったお年寄りのほうが断然多かったです。


気付けば朝トイレに行ったきり夜更けになっていました。


反省会や明日以降の予定のミーティングを終え、移動の疲れや現地を目にしたショックと
避難所まわりであっという間で忙しく過ぎた1日でした。


避難所だってぎゅうぎゅうで
もちろん私たちは寝る場所もなく
初日の夜は遺体安置所のわきの簡易プレハブに男女関係なく雑魚寝。


疲れているのに眠れるわけがなく、
持ってきたiPodを聞きながら友達と撮った写真を見たり圏外のままの携帯にこの文章をずっと打っていたり
友達がくれたメールを読み直して
1
日泣くのを我慢していたのでバスタオルに包まってずっと朝まで泣いていました。


17日


避難所の一部を救護所兼病院として救急車を受け入れているところへヘルプに入る



救護所のベッドはすでに満床で
待合室には数えきれない受診希望の患者数
全然足りない薬品と医療品



トリアージにまわると
小児の間で39℃代の熱発による受診希望が多い





うー、嫌な予感




そして嫌な予感的中、
インフルエンザ




リレンザもタミフルも持ってきていたけど備蓄が足りない

症状軽めの患者にはカロナールでなんとか解熱を期待する

抵抗力の弱い小児や高齢者、
しかも今の状況だと全ての人が抵抗力が弱っているから感染してしまう可能性が高い


救護所の中もインフルエンザの患者とその他の症状の患者を分けて対応することに


これ以上拡大しないようにと気持ちが焦っていました



先輩の管轄の避難所から救急要請が入る



下痢で脱水気味の高齢者数人搬送したいと


物資が届かずなんと生米を食べていたらしく胃腸炎を起こしているとのこと




ラジオからは物資は続々届いているけど
小さな避難所には行き届いていないことやガソリン不足による物流が困難というニュースが流れていた




自分も雪解け水を飲んでしまいお腹の調子がいまいち




でも弱音は吐かないで笑顔!笑顔!
みんなの前では元気!元気!




今日は休憩は2時間半で朝までぶっ通し


みんなはもっともっとつらくて大変なんだから
これくらいのことは頑張らないと



搬送されてきた高齢者は
みんな脱水症状と低体温



点滴のストックがもうすぐ底をつく


点滴の針もあと数箱




避難所生活のストレスで胃潰瘍からの出血なのか吐血で血圧低下のショック状態の患者さんも搬送されてきた


すぐに内視鏡と輸血!
ドクターが叫んで自分で「あぁ、ここには何もないんだ」我に返っていた

緊急処置で点滴確保してどんどん補液しながら血圧を保たせながらヘリで内視鏡や処置が出来る盛岡市内へ搬送となる

最善の治療が出来なくて申し訳ない気持ちで見送る医療チーム




明日石巻に医療機器不足の連絡がとれるといいけど向こうも同じような状況なのかも



いまだに家族と連絡がとれない被災者は増える一方




あの日から奥さんを探すおじいさん
なんとか休んで欲しい




想像以上の状況と過酷さに挫けそうになるけど、
少しずつ高速バスが再開したり途中まででも新幹線が再開するニュースも聞こえてきた


昨日よりは絶対前に進んでいる!!

18日


救急患者を受け入れている病院へ。


とにかくここの病院のドクター、ナース、薬剤師、放射線技師、検査技師、栄養士、看護助手・・・
全て震災後から不眠不休。家族や休みだったスタッフの安否さえ分からないまま、
極限の精神状態で仕事をしていたらしいです。



少しでも交代で休んでもらうようにサポートに入ることに。



地域や物品の場所は全く違っても、医療は共通。
そう思いながらも、続々搬送されてくる救急車と
受診を求めて並んでいる1000人以上の患者さんを目の当たりにして正直途方に暮れましたが
目的の「1人でも多くのかたに医療と看護を」のために気持ちを切り替えました。


救急搬送のほうのグループになり
搬送されてくる患者さんも
心筋梗塞や脳梗塞の薬を飲めていないから
再梗塞を起こしていたり
透析患者さんが透析を出来なくてカリウムの数値が上がっていたり心不全を起こしていたり
医療機材が足りていない中、現状は相当厳しかったです。

地震によるケガは免れ生き抜いたのに、地震後に病気で亡くなってしまう方の無念さと
私達医療スタッフの絶望感は文章にはあらわせないです。


東京の病院では手を伸ばせば点滴台、棚をあければ薬品etc
そして当たり前についている電気


自家発電とはいえ、バッテリーと時間との勝負で
手術が必要な患者さんはヘリで他県へ搬送の繰り返し。


採血をすると真っ黒でどろどろした血液がひけて

「お食事したりお水飲めていますか?」と聞くと

「私だけそんな飲み食い出来ないし、おにぎりと朝夕のお茶だけだよ」と力なく答える患者さん達。


点滴も足りなかった・・・


受診する患者さんをどんどん固い床に寝かせ点滴をして
様子を見て
点滴を抜いて止血して
誰が何の点滴をしてどのペースで終わるか把握するだけでも精一杯



そうこうしてるうちに救急車の受け入れ




そういえば今日もあんまり笑顔を見せてないなって時に
妊婦さんが産気づいたとの連絡。



私と同じ年くらいの初産の妊婦さん。


助産師の免許はないから
点滴の確保とベビーキャッチにまわりました。



点滴を入れていると
「重症のかたがたくさんいるこんな時に本当にすみません」と。



「何をおっしゃいますか!!
高田のみんなや全国のみんなが赤ちゃんを待ってますよ!!」と声をかけました。
赤ちゃんは明日への希望です。




元気な赤ちゃんが生まれたときは、薄暗い分娩室が
本当に明るくなったように思います。

お湯も思うように沸かせないからガスコンロであたためた湯を準備したり
支援物資で届いたアンパンマンのバスタオルに包んで。


涙を流してるお母さんが

「もうちょっと早く生まれてきてくれたらおじいちゃんとおばあちゃんに見せられたのに。
とても楽しみにしていたのに。」と言っていました。


でもこんなにスムーズに
元気な赤ちゃんが誕生したことはきっとそばで見守ってくれていたに違いないと思いました。


眉間にシワを寄せてピリピリしていた救急チームも産声に駆けつけ
一気に笑顔の空間に。



これから大変なことがたくさん待ってるけど、
絶対それ以上に嬉しいこと、幸せなこと、楽しいことだって待っています。


この赤ちゃんが大人になる頃は元の高田市に戻って笑顔が溢れる穏やかな街並みになっていることを
その場にいたみんなが願いました。



ラジオからはひっきりなしに聞こえてくるどんどん増えていく死亡者数。


こうやって生まれてくる新しい命。


どちらも尊いものです。
命の重さもみんな同じ。



改めてそう思いました。



明日も笑顔で今日よりいいことを見つけよう。


18日夜

避難所の体育館に時間制限はありますが電気が復旧しました!!



電気がついた瞬間拍手喝采で嬉しくてみんなで泣きました。


全国で節電したから予定より早く復旧したそうで
本当に本当に嬉しかったです。
優しさが伝わりました。



被災地に到着した日は
雪が降り積もっていて現地の人が
「こんなときに雪が降って神も仏もいなくなったな」とつぶやいていたけど

神も仏もいない今、
優しい気持ちの生きてる人間がたくさんいるよ!!とちょっと胸をはれたような気がします。
でも本当に大変なのはこれからです。
これからも全国の優しい気持ちが広がることを願います。



ガスや灯油が届かなくて寒いのは変わらなかったけど、
夜に電気が灯っているだけでなんだかあったかくなった気分でした。




18日午後
震災が起きた時間14:46には手を止めて黙祷をしました。
サイレンが鳴り響いて
現地の人たちの涙を見て
1週間経過した時間に対して早く感じました。


1週間経過したことでメンタル的サポートも必要になってきたようにも思う光景も増えてくる。



相変わらず救急搬送患者や入院が必要な被災者が増えていく一方、
救急車の燃料切れや
受け入れ先病院を探してもどこも満床、少なくなっていく医療物品、
新たな問題も山積みになり何度も立ち尽くしてしまいました。
そういう問題にぶつかるたびに弱気になったけど気持ちは常に強く。



救急患者対応だけでなく
避難所の血圧測定と健康相談、
現地ナースに休んでもらうために入院病棟の患者の処置や巡視、
エレベーターが止まったままなので食事の配膳時には5階建て階段の往復、
時間が少しでもあいたら火をおこしてお湯を沸かす、
1日が24時間では足りないくらいでした。


寝る時間が2時間でも
横になりながらこの時間も何か有効につかえないか考えていました。

こうして記録して現状を報告することしか思いつきませんでした。




電気がついただけなのに
全国で節電をしたみんなのことを思うと絆で結んだ電気に思えてすごく明るくあったかく電球が見えました。


頑張りがこうして形になって見えると俄然自分ももっと頑張らなくてはと背中を押された気持ちになります。

7、瑠奈チャン

2011-03-23 16:49:59 | 皆様へ

寝泊まりをした体育館で
たった三日間でかわいいお友達が出来ました。
血圧測定や点滴に走り回る私のあとを小走りについてくる

人懐っこい6歳のかわいい女の子、瑠奈チャン。


マスクが大嫌いな子だったので
マスクに全然似てないキティちゃんを書いてあげたら気に入ってくれたのがきっかけだったのかな。



夜の体育館は本当に寒いので頼るのは薄い毛布と人肌。


私の医療チームは男ばっかりだから人肌に頼ることも出来ず毎日入り口付近ですきま風と戦っていました。

電気が復旧していなかった広い体育館は例えるなら洞窟みたいでした。
ストーブも消され冷えきった真っ暗な空間。
頻繁な余震。




1人だったらどんなに怖くて心細いか。
たくさんの避難されているかたが集まっているからこんな暗闇でも朝を待つ気力に変えられるのだろうと心底思いました。


真っ暗な夜中の体育館の
寝息の中に
もちろんすすり泣きの声も聞こえています。



不安なのかな、
家族や友達と会えていないのかな、
考え出すときりがないし
私は1週間程度だけど
ここにいるみんなはこれがいつまで続くんだろうと思うと暗闇の体育館は洞窟どころか
出口の見えないトンネルのようにも思えました。




寒くて眠れないけど、そろそろ寝ないと不眠不休で倒れてしまいそう
ここで倒れて足手まといになったら来た意味がないと寝返りをうっていたら
瑠奈チャンが「お姉ちゃん!」とどこからか毛布を持ってやってきてぴったり横にくっついてきました。


「瑠奈チャンも眠れないの?」と聞いたら元気よく頷いていたので
抱き寄せるとめちゃめちゃあったかい瑠奈チャン。



「お姉ちゃん、好きな人いる?」と瑠奈チャンに聞かれたので
「いるよ!」と言ったら

「どんな人?」って(´`)


「おヒゲがはえてる人だよ(笑)」と分かりやすいように教えてあげたら

「サンタさん??」と。


かわいいなぁと思いながら「そうだね、サンタさんみたいな人だね」と頭をなでなでしながら話すと


「また冬になったらサンタさん来てくれるかな?」とニコニコした笑顔。


やっと笑顔が見れて嬉しくなって「瑠奈チャンいい子だからまたサンタさん来てくれるよ!」と言ってしまった私。


でも「瑠奈チャンね、おうちなくなっちゃったけどサンタさん、瑠奈チャンちがないからプレゼント持って帰ってしまわないように
お姉ちゃんから言っておいて」と言われて、
ごめんねって思いながらぎゅっと抱き締めてしまいました・・・



「瑠奈チャン、なにが欲しい?」の私の質問に

「おうちとママ」



いつも一緒にいるのが母親かと思っていたけど
次の日、それは叔母さんということが分かりました。



瑠奈チャンのお母さんも被災され、あんなにかわいい瑠奈チャンを残して瓦礫の下から変わり果てた姿で見つかったそうです。
瑠奈チャンは幼稚園にいて救出されたけど
お母さんは瑠奈チャンが大事にしていたお人形や絵本の入ったリュックを抱えて亡くなっていたそうです。




まだまだ小さな瑠奈チャンはお母さんが恋しくていつも私にくっついて寝ていたのかな。



別の避難所と救護所に移動のためにいつも寝ていた体育館を去るとき
瑠奈チャンが私と別れることに対して声をあげて泣いていました。



お母さんと悲しい別れをしたばかりなのに、傷は癒えてないのに、また
別の形だけど人と別れる悲しみを味わせてしまった・・・



また会おうって言っても
お手紙を書きたくてももう瑠奈チャンには住所がない



でも、きっとまた復興したら必ず会いに行く約束をして体育館を離れました。


この震災を忘れずに
強くて優しい女性になってほしい。
どうかこれから進む道が明るくて幸せであるように。



リーダーナースとの泣かない約束はあっけなく破られ手を振る瑠奈チャンを見ながら、車の中でずっと泣いていました。



なんでこんなことになったんだろうと悔しさをどこにぶつけていいか分からず
次の支援施設、救急病院へ向かいました。



みんなに笑顔と元気を届けに来たのに、瑠奈チャンを泣かせてしまって。



私のここにいる意味は何だろうとも思っていました。

19日


朝から校庭がなにやら騒がしい。
トラックが続々搬入。


聞くと仮設住宅の建設に来たとのこと。

こわもてだけどめっちゃ優しいトラックの運転手さんと思わずハイタッチ!



まだ優先順位での入居になるらしいけど、これも明るいニュースでした。
さっそく朝から昨日より良くなったこと見つけた!!


それとDOCOMOとau災害カーが来てやっとやっとやーっと携帯から圏外の文字が消えた!
避難所のみんなも続々連絡がとれている人が。


DOCOMOのスタッフとも笑顔でハイタッチ!


超ベタベタの髪と化粧水すらつけずに過ごしてる汚いすっぴんも慣れてきました。
とりあえず残り少ないウーロン茶をティッシュにつけて顔を拭いて今日も頑張るぞー!!とスタッフと気合いを入れました。
あとは水が出るといいな。


そうこうしているうちに
昨日よりいいこと発見。


あったかい。
春の日差し。
もう寒くならないで。



そして今日から盛岡~陸前高田の高速バスが1日2本だけど運転再開になった!




また朗報が入った!

昨日体育館から救急搬送されたお婆さんが元気になって避難所に戻ってきた。


「お帰りー!!」


「ただいまぁ」


避難所がひとつの家みたいでした。




ユニフォームの「NURSE・看護師」だと子供や高齢者は看護師と認識しずらいだろうと
初日の夜に前後にカラーテープで「カンゴシ」とカッティングして貼っていました。
毎日ユニフォームを着て仕事や仮眠をしているうちに「シ」の点が一個取れてなくなっていて、私の後ろ姿は「カンゴン」になっていました。

それからは子供たちや避難所のみなさんから「カンゴンさん」と呼ばれるようになり
今日はもっと短縮され「ゴンちゃん!」と気軽に声をかけられたことも嬉しかったです。




あと昨日となりの市に行って、友達に公衆電話から「公民館の避難所に物資が届いていないことを知らせて」とお願いをしたら
今日夕方にやっとやっとそこへ物資が届いたと避難所から連絡。



運んでいただいた自衛隊の方によると
「北は秋田から南は九州の人から、ここに物資が来ていない連絡が入ったんだよ。
こんな小さな避難所だけど全国からの声が来たよ」とのこと。
命のリレーです。

ご協力して下さった皆様と気に留めて下さった皆様、本当に本当にありがとうございます!!


オムツをかえられなくてお猿のお尻になってしまった赤ちゃんにたくさんの替えのオムツと
ベビースキンも届いたそうです。

あとはおいしい味噌握りやヤクルト、山崎パンからのたくさんのナイススティックも。




これから夜半過ぎ都内の大学病院からたくさんのお薬と点滴と簡易吸引器が届く。



私の滞在期間も21日から23日までに変更。



明日くらいには入院患者を他県の病院へ搬送する準備に入ります。
もう適切な医療の限界。



患者さんは入院だけでも心細いし
家族もお見舞いに行きにくくなるだろうし・・・


でもきちんとした治療を受けるのが最優先なんだよね。

考えを切り替えて頑張ろう!!



今日の反省会で気仙沼で9日ぶりに生存者発見とのことを知りました。
みんなで手を取り合って喜んだけれど、震災を逃れても避難所で体調を崩して亡くなる高齢者も増えていることも事実。



1人でも多くの命を。と思っていたけど、もう今は全員の命を救いたいとみんな思っています。




つらいのはみんな。
自分らは微力。


微力が集まって大きな力になりますように。


19日夜



今夜はちょっと休めそうだったけど熱を出している人や腹痛のかたが多いので
1人ずつ救護車の中で休むことになりました。

やっぱりみんなのいる体育館のほうが寂しくないけどそんな甘えたことは私は言っていられないですね。




運転席が明るいから電気がついているのかと見に行ったら
すごい大きなお月様の月明かり!!
今夜だけなのかな?

何かの現象なのかな?



毎晩こんなに明るかったらみんな少しは寂しくないのになぁ。


体育館からもお月様を見に、眠れない人たちが続々出てきて月明かりに照らされています。
ちょっと笑顔になってます!



被災地のすべての人に笑顔と幸せが降り注ぎますように。


絶対にこれ以上の悲しみは起こりませんように。






深夜便でそろそろ医療物品が来る頃かな?


梱包してくれた方やトラックの運転手さんにも本当に感謝感謝です。




明日は避難所から他県が用意した一時避難所に向かう方々もたくさんいるのでその準備も少し手伝えたらと思う。

今日ちょっと話したお婆さんは生まれ育った90年も過ごした高田を離れるのは死ぬほどつらいと言っていました。
海と貝博物館という施設が高田にあったらしくそこの近所に家があったので
いつもそこを訪れる観光客の笑顔を見るのが日課だったそう。


戦後貧しい思いをして
それでもおじいさんと頑張って家を建てて
漁をするのに船も買って
年老いたから仕事をやめて孫も出来て贅沢せずにゆっくり余生を過ごそうね、
そんな時にこの震災にあったとのこと。

「また戦後の時みたいにやり直せばいいけど
あの時みたいに若くはない」と涙をぼろぼろ流すおばあさん。
ここを離れたくない気持ちは痛いほどわかります。



一時避難でも高齢者には他県に行くことや高田を離れることは想像以上のストレスになると思います。

でも受け入れ先の優しい気持ちやあったかい場所とご飯が約束されているなら
少しだけの辛抱!!




なんだか私も東京に戻るのが嫌になってきました。

20日


道が整備され、陸前高田にたくさんの重機が来てくれました。


そして、瓦礫を除けるとたくさんの遺体が出てきました。




遺体はトラックに乗せて運ばれて行き
早く探している人たちと会えるといいなと思いました。



また悲しみが広がりました。

瓦礫の下から昨日から復旧して電波の入るようになった携帯の着信が聞こえました。


妊婦さんの遺体が出てきたときも本当につらかったです。
何の罪もない人たちが犠牲になる現実。
人が生きていく意味が分からなくなってしまいました。



数日前まで思い出のつまった自分の家が建っていたところが道になっているそうです。






生存者がいたときのために救急セットを用意して
重機の作業を見守っていたけれど残念ながら私たちの出番はありませんでした。


ため息と涙ばかり出てきてあとはひたすら悔しかったです。





熱と食欲不振で受診した男の子と話す。

泥だらけのドラえもんの本を見せてくれました。



ドラえもんの道具で何が好き?と聞いたら

「ずっとお座敷釣り堀が好きだったけど今はタイム風呂敷。
タイム風呂敷で地震の前の高田に戻したい」と言っていました。

純粋な子供たちの心まで傷つけた震災。


ちょっと休憩をもらえたので立ち入り禁止区域が解除されたところに行ってみると
おじいさんが必死に何かを探していて。
60年集め続けた切手のコレクションを探しているとのこと。それとアルバムも。

親の位牌を探す人、
旦那の形見を探す人、
飼っていたペットを探す人、
ランドセルを探す人、
家族を探す人・・・





瓦礫をよけると遺体が出てきそうで怖かったけど
みんなで探したけど全然見つからなくて悔しかった。

人の命や宝物までこんなふうにいとも簡単に奪っていくなんて


おじいさん以上に立ちすくんでしまって逆に励まされてしまった、情けない自分。




頑張ってとか頑張ろうって言えない。
頑張り過ぎてるくらい頑張ってるのを見ているから

「我慢しよう」「乗り越えよう」としか言えない。


これ以上頑張れとは言えないし、頑張ったところで
どうにもならないことがたくさんありすぎたから。



だけど、だんだんいい方向にむかってるよね?

今日はちょっと寒いから気持ちも弱気。




でも頑張ろう!!


たくさんのお別れもあったけど
今日やっと家族や友達に会えた人もいるんだから。

携帯が圏外で使えなくて
不便なこともたくさんあったけど
そこまで行って言葉で伝えることや
話ながら背中に手をあてたりぬくもりもたくさんあった。
連絡が取れないから待ち合わせ場所に遅れないようにみんなが早めに来たりした。
ネットも繋がらないから必要な情報が入ってこないから
みんなで相談したり仲間を信じて行動した。
知りたくもない情報は入ってこないから日常を離れた気分になれた。



お金も必要なかった。
使ったのはテレフォンカードを買っただけ。
でも被災地ダイヤル回線でお金はかからなかった。

素敵なバッグもおしゃれなコートも必要ない。

あったかければなんでもいいから羽織っていた。
頭が寒かったときはハーフパンツをかぶって寝た。
私なんかより抵抗力の弱いお年寄りが寒くないようにみんなで掛け物を提供した。


自家発電が終了する夜は小さなろうそくのもと
これからを避難所のみんなと肩を寄せて話した。
瓦礫の山とぬかるんだ地面の陸地と対象的に
真っ暗な夜空に星がいつも夜になるときれいだった。人の声を聞くとほっとした。


水が出なくて資源の大切さを実感した。
髪も顔も洗うような無駄な水はない。
お風呂に入れなくて赤ちゃんのおしり拭きで全身を拭いた。
それで出たゴミは持ち帰った。




避難所や救護所や病院で奇跡の再会ができた人もたくさんいた。
そのたびに誰彼関係なく周りは拍手。まだ自分は身内に会えてない人まで他の人の再会を祝福していた。



その光景を見て家族や友達や同僚や親類や仲間の大切さを再認識した。

ちょっとだけ早く帰りたくなった。



1人でいる人に誰か必ず寄り添っていた。


私が医療物品を1人で詰めていても必ず現地の人が話し掛けてきた。

炊き出しの時間も現地の人優先だったので
見てるとお腹がすきそうだから救急車の中にいるといつもお裾分けに来てくれた自分の母親くらいの年齢の方がいた。

「○○チャンに倒れられたら
それこそ大変だから」と私の名前を覚えてくれていつも届けてくれた。




自分の明日の食事も見通しがつなかい状況なのに
申し訳ないのと感謝の気持ちでいっぱいでいつも母のことを思い出していた。




そんなときラジオから
都内で物資を取り合いしているニュースが流れていて
震災の被災地が東京だったら絶対復興はしないだろうなとぼんやり考えていた





ラジオのありがたみも知った。
日本語って本当に素敵だと思う。
スペイン語をマスターしたかったけど日本語をもっと大切にしたくなった。



ラジオからはいつも前向きな歌が流れていたし
きっとみんながリクエストしてくれたんだと思う。



アンパンマンの歌、平原綾香の歌、岡本まよの歌、
ミスチルの歌、嵐の歌、世界にひとつだけの花はほとんど毎日流れていた。



あと懐かしいところでは
「それが大事」とか「どんなときも」とか。



ラジオからドリカムの
『何度でも』が流れてきたときは患者さんを運びながら涙が止まらなかった。
すっごく勇気をもらった。友達の顔や家族の顔が無条件に浮かんできた。
医療チームも腕まくりする人が増えたから歌に後押しされていたと思う。



眠れない夜は翼の「君となら」とか「見果てぬ夢」とか「ただ・・・」を一晩中聞いていた。
勿論曲に励まされたけど、
あの楽しくて明るい空間って当たり前じゃなくて
そこまで行けることや
みんなが元気に参加出来ることって本当に恵まれた環境だったんだと思った。


あの会場にいた震災に遭った友達のこともずっと思い出していて
早く楽しい場所で笑顔で会いたいと思った。




いくら芸能人が「頑張って」とエールを送ってたとしても
なんせ電気が思うように復旧していないし
やっと見れたテレビはすべて震災情報、ラジオも震災情報、
新聞も震災情報。

エンタメ情報なんてひとつも入ることはなかった。

避難所のみんなもニュースしか見ていないし
他の避難所がうつるたびに家族や知人がいないか必死だった。






他県や外国からの
自衛隊の方々、
企業からの支援、物流の運転手さんたち、電気会社の方々、医療スタッフetc

すごくあったかかった。



まだまだ日本は捨てたものじゃないなと思う。



こんなときになかなか笑顔になれないけど
挨拶するとき、お礼をいうとき、笑顔でいるように心がけた。


心が折れることばかりの毎日だけど
避難所のみんなの心のほうがどんなに傷ついているか。

傷に薬をつけて包帯を巻くのは簡単だけど
心に包帯を巻くのは難しい。


笑顔の薬、少しでも傷が癒せるといいけど・・・






『誰かの笑顔につられるように
こっちまで笑顔がうつる魔法のように
理屈ではないところで僕ら
通じあえる力を持ってるはず


あなたは今笑っていますか
強がりじゃなく心の底から

憎しみが入る隙もないくらい
笑い声が響く世界ならいいのに』


21日


今日は三陸の病院へヘルプに。


震災から10日が過ぎて
そろそろ気をはっていた人たちも気力の限界だったのでしょう。


かなりの数のかたが体調不良を訴えて受診しにきました。



突然の災害、寒い毎日、
固い床、プライバシーのない生活、見えない明日、

体調崩すのは当たり前の状況です。



被災から逃れたのに避難所で体調を崩して入院していた高齢者が今日も亡くなりました。


毎日たくさんの遺体を嫌というほど見ても
人が亡くなるということは決して慣れることはありません。


巡視で回ったときにただ眠っている人を見ただけでも生きてる?って思うくらい、トラウマになってしまいました。



今日は適切な医療の限界から患者さんたちを盛岡や県外の病院へ転院のお手伝いもしました。


医療器具が届いたのに
こういう転院はやっぱり悔しいけど、すべて患者さんがより良い治療を受けてもらうためだと言い聞かせて家族と一緒に見送りました。



今日はいつもとは別の避難所になっている公民館へ。

胃腸炎になっている方が多いと聞いていたので
点滴と消毒を多めに持って行ったけどそれでもギリギリのストックでした。





その避難所でベイスターズのジャンパーを着ているおじさんにも会いました。
着のみ着のまま逃げてきた中、薄いベイスターズのジャンパーを着ているなんて普段から愛用しているファンなんだろうなぁと思い、話し掛けると
「大洋の頃から大好き!横浜も俺の人生も仕切りなおしだ」と。


プロ野球の開催についても大揉めしているけど
こうして楽しみに待っているファンもいるという事実。


またみんなが好きなグループのコンサートや
スポーツ観戦に行って心から笑顔になれる時間も来たらいいなと思いました。

これらは優先順位からいうとかなり後になるかな。


帰る家があって、あったかいお布団とお風呂があって、話を聞いてくれる家族がいて、
そういう生活が基盤にあってこそ娯楽が楽しめるんだなと。




津波の恐怖や、これからの不安な気持ち、大切な人とまだ連絡がとれていない今、
そこにいる避難生活をしているみんなが不安や恐怖や今後についても話してくれました。


明日のことを考える余裕がない、10分先、今日の夜をどう過ごすか、寒くないかって考えるだけで精一杯と。

こんなふうにとにかく誰かに話す相手をもっと増やしてほしいです。



支援物資も日がたつにつれ、必要なものが変わってきたと思います。




そろそろ本や将棋やゲーム、
そういう自分の癒しをしてもいい時だと思う。


だってみんなギリギリ踏ん張っているから。
そろそろ張り詰めた糸をゆるめないと。




避難所では昨日9日ぶりに気仙沼で二名の生存者救出の新聞の記事に感動に包まれていました。


自分もつらい時に
他の人の奇跡を喜んでいて、ますますここの素敵な優しいみんなの幸せを心から願い、信じました。

22日


私たちがここにいるのも明日がラストになりました。もうすっかり家族です。

この震災で家族を失った人たちをたくさん見てきたけど
家族って血が繋がってる人だけじゃなく一緒に涙を流せたり心に少しでも寄り添ったならもう「家族」って言っちゃっていいんじゃないかな。
だから私は避難所や病院や救護所で関わったみなさんを本当の家族のように思いながら毎日接してきました。



相変わらずまだお風呂に入れない状況。


今日は天気も悪いから仮設住宅を建ててる建設業の方たちも交代で避難所をのぞきに来てくれて
どこか不備がないか見回ってくれました。



医療チームで何かお土産を置いていけないか考えて
建設業の方にも協力してもらい、足湯だけでも出来ないかという話に。


建設業の方たちも即OKをくれて材料で流しそうめん並みのたくさんの人が使えそうなのをあっという間に作ってくれました。


水が出ないから給水車まで行って水をみんなで運んで焚き火の火やコンロで湯を沸かす。



避難所のみんなを呼びに行き、足湯を見せると『えぇーっ』とびっくりした様子。


みんなで一列に並んで足湯をすると、一気に笑顔でした。

あんまりあったかいお湯じゃなかったけど喜んでもらえて良かった。

嬉しくて足湯なのにそのお湯で顔を洗っちゃったおじいさんもいました。


『これみんなの足を洗ったお湯ですよ~(笑)!』って言ったら
『いいんだよ、みんな家族みたいなものだ』と。



みんなも家族みたいって思っていたんだなぁって嬉しかったです。


またみんなの笑顔に励まされてしまいました。



足がずっとぽかぽかだよって言って
ぐっすり眠りについたみんなを見て、自分が出来るちっぽけなことがなんだか嬉しくてずっと泣いていました。



ずっとここにいたいけど
そう思えるのは私には戻る場所があるからですよね。
実際滞在延期を申請したけど、これ以上いたら医療チームが体調崩すのは明確だから一旦戻るべきと反対されてしまいました。



避難されてる方は一刻も早くここを出たいはずですよね。
気持ちはあたたかいけど体育館はとても寒い。
早くみんなの住むところが確保されることを願います。



でもこんなふうに思える出逢いをずっと大切にしたいです。



ここでの仕事は私自身の考えや今後を大きく変えたと思います。



岩手にもたくさんの『Family』がいるよって胸を張って言おうと思います。




追伸:自衛隊の方がとなりの市にテントのお風呂を作ってくれました!
1日数人限定ですがやっと避難所のみんながお風呂に入れる機会ができました!!
さっぱりして帰ってくる笑顔を見て嬉しくなりました。

23日


今日で一旦私の医療チームは東京に戻ります。


かっこいいことを言いながら強気で踏み入れたのに
来たばかりのときは想像をはるかにこえた現状に打ちのめされました。
自分に何が出来るかなんて考える時間もなく目の前で起きていることを把握して無我夢中でやるしかなかった。

毎日モノを数えるように
増えていく死亡者数をニュースを読み上げてるアナウンサーにさえ嫌気がさしました。



1日2000人以上の受診希望者
床に寝せられ点滴を受ける患者さん
泥だらけの入院ベッドに横たわる患者さん
1人任され不安だらけの救護所
避難所での夜間の急病人
水も電気もない分娩室でのお産
受け入れ先病院が見つからない救急医療体制
備蓄のない医薬品
足りない医療機器
浸水して使えなくなったAED


全部が全部思い出せないくらい、毎日が壮絶でした。


朝からずっと走り回っていて気が付くと夜中の3時、4時ってのを毎日繰り返し。
でもそれは私たちだけじゃなく、自衛隊のかたや消防のかた、警察のかた、運転手さん、自治会の会長さん、条件はみーんな一緒だったから頑張れたんだと思います。
私たちは交代でちょっと休めたけど、休めてない職種の方ばかりです。


そんなしんどさなんて被災された方々に比べたらなんてことはないと思うとへっちゃらでした。


それと何回も書いてきたけど、避難所のみなさんの笑顔と優しさと強さに何度こちらが励まされたことか。

気丈にふるまっている人こそ心の傷は深く
話を聞いてみると家族といまだに連絡が取れていないという人ばかりでした。


避難所もみんながいるから頑張れると言っている人がいっぱいいたけど
あんなかたい床で毎晩寒い思いをして不安な夜を過ごすつらさは壮絶です。



本当に大変なのはこれからです。
だんだんテレビやマスコミも震災のニュースが減っていき、みんなの脳裏から薄れていくに従って
被災地の今後の課題や病人や悲しみは増えていくと思います。
被災していない人たちが自分たちは明るく頑張ろうって元の生活にどんどんしていくのは良いことだけど
3月11日のことは決して忘れてはいけないのです。


自分に何が出来るか分からないままの人は
今あるお小遣いやお金を募金にまわすのもよし、とっておくのもよし。
とっておくなら、いずれ、交通機関が復旧して
東北地方が元気になってきたら旅行に行ってそこでお金を使うのも支援かと。


直接の被災地でない私たちの支援の形は経済効果として支障のない程度に今まで通り、飲んで、食べて、仕事して、お金が出来たら気持ちばかりの募金して
それも大事なことだと思います。



お金を動かす人、
人々を活気づける人、
目の前の仕事を精一杯する人、
支援の形はそれぞれです。そして今だけでなく、このトンネルを抜けるのは長期戦であるということを念頭に。
自分の生活や仕事に支障のない程度に節電に心がけて、きちんとした団体へやはり支障のない程度にお金を募金するのも大きな一歩です。



失恋しようが、上司に怒られようが、衝動買いしようが、ちょっと風邪をひこうが、
日常でつらいことや嫌なこといっぱいあります。
普通にいきてりゃ嫌なこと9割、いいこと1割です。


でも、被災地のみんなのつらさや悲しみに比べたら全然なんてことはないです!

そんな中、踏張って耐えてる被災地の人が少しずつ笑顔になれるように私たちは物を大事にして資源を大切にして
被災地のことを忘れないことだと思います。



医療も長期戦になることを想定しています。
また行く機会を設けてもらい、もっと成長して1人でも多くの人の力になれるように災害医療をもう一度勉強します。


また、放射能についての新たな二次災害も出てきて
今後の問題は山積みです。
放射能に関しては
適切な情報と的確な判断で。


避難所で別れの挨拶をしたときに、みんなも泣いていたけど笑顔で『今度会うときにはもっと良くなってるように頑張るね!』『復興したら旅行においで』『お嫁においで』と言ってくれて涙涙で避難所を後にしました。
助かった人たちも、自分だけ助かったことや
誰かを助けられなかったことに自責の念を話してくれたけど、誰も悪くない。

それに助かったことには絶対意味があります。
胸はって前を見て、つらいときは泣いて、1人ではないことを忘れないでほしい。

サプライズもあって
瑠奈チャンも叔母さんと手紙を持って駆け付けてくれました。お手紙には「大きくなったらおねえちゃんみたいなおしごとをします」と書いてあり、この仕事をしていて良かったと思いながら涙が止まらなかった。
陸前高田は第二の故郷になり、故郷の復興を願ってやみません。


ここで見たこと、経験したこと、感じたことは同僚や友達や家族に伝えていこうと思います。
当たり前の日常がどんなに幸せなことか。
そばにいてくれる家族や友人がどんなに大切な存在か。
水や電気の資源の供給がどれだけ恵まれていることか。



いろいろ人それぞれ感じ方も違うしきっと全く他人事に思う人もいると思うけど、
いつ自分が被災者になってもおかしくないのです。




帰りは陸路で帰ってきましたがだんだん東京が近づいてくると
どっちが現実社会なのか分からない錯覚に陥りました。当たり前についている信号、電気がついている高層ビル、きれいな身なりの道行く人。
震災にあった地域は対岸の火事のように過ぎてる都心の時間。
でもきっと本当の現実は被災地で都心は非現実社会なんだと思います。



現実社会と非現実社会はいつだって隣り合わせ。



被災地の復興を心より願っています。
また必ず行きます。


その時までどうぞお元気で。
そしてみんなが会いたい人に会えますように。



いつかみんなの努力と流した涙が報われるときが必ず来ますように。