「マヤの音 新時代」
(伝統音楽薫るフュージョン、先住民の村から発信)
渡辺りえ
昨年の12月22日。 古代マヤ暦で「終末の日」とされていると
世界中で大騒ぎになったが、それはちょっと違う。 古い時代
と新しい時代の間に存在する分岐点にあたるのが昨年12月だった
のだ。
*幼い日の出会い発端*
メキシコの最南端・チアパス州にはまだ多くのマヤの子孫が
住んでいる。私がマヤ先住民族の村、シナカンタンに住んで
6年が経った。 標高2000メートル以上で、1万人ほどが暮らす。
ギタリストである夫のダミアン・マルティネス、熊本出身の
オカリナ兼トロンボーン奏者の西居かおりさんとともにマヤ
伝来の音楽をもとにしたフュージョンを演奏している。
私とメキシコの縁は同国を拠点とするバイオリニストの
黒沼ユリ子先生との出会いにさかのぼる。4歳でバイオリンを
習い始め、翌年、当時暮らしていた山口の市民オーケストラに
先生がソリストとして来られた時に花束を渡す役に選ばれた。
1985年、14歳の時に黒沼先生が指導する日墨合同コンサート
に参加した。日本の子どもたちと12人のメキシコの子どもたちが
八ヶ岳で合宿して各地で演奏会を開いた。 メキシコの子たちの
テクニックは未熟なのに心底音楽を楽しんでいる。どんな秘密が
あるんだろう。 気になって高校3年生の時にはメキシコ市に
留学した。
*教会の演奏、自然に涙*
米国の大学で音楽を学び、故郷・徳島の大学院で教育を学ぶ。
黒沼先生に呼ばれ、音楽学校「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」
で5年間、バイオリンを指導してきた。
初めてシナカンタンを訪れたのはそのころ。 2001年12月、
友人たちとメキシコ南部の観光地サンクリストバルを旅行中、
足を延ばしたのだ。 村を歩いているとき、偶然に教会から
流れてきた音楽に吸い寄せられるように足を踏み入れた。
ハーブとバイオリン、ギターの編成。呪文のように続く音楽は
心に深く浸透し、知らず知らずのうちに背負っていた重荷から
解放されたような気分だった。 気付いたら私は涙を流していた。
それはマヤの伝統音楽師たちが奏でていた音楽だった。
前、スペイン人たちが欧州から持ち込んだ音楽が土着の音楽に
溶け込み、保存されてきたものだ。
07年に再び友人たちと尋ねた時、またもや教会でこの音楽を
聴くことができた。強烈に魅力を感じた私は演奏後、音楽師たちの
後をつけた。彼らがたどりついたのは仔細の住居。「私たちも
音楽をやっている、話を聞きたい」と訴えたら、
「ポッシュ」と呼ぶマヤの聖なるお酒を飲んでいるうちにお手洗い
に行きたくなってしまい、辞去した。 公衆トイレなどない村で
うろうろして行き当たったのが、現在の夫ダミアンの家だった。
音楽の話や雑談で意気投合。立ち去りがたくて、彼と結婚して
シナカンタンに住むことに決めた。 急な決心に日本の両親は
「宗教に洗脳でもされたのではないか」と心配したらしい。
*少数者の文化訴え*
ダミアンは、1996年に兄弟たちと専従民族音楽グループ「
ツェブル」を結成し、マヤ系のツォツィル語で歌い始めた。
グループ名は「白い稲妻」の意。マイノリティーとして時に
差別の対象になるマヤの文化を訴えようと、神話や精霊、霊魂
など独特のテーマが歌われる。伝統音楽の人たちは演奏前、お酒
「ポッシュ」を口に含んで楽器に吹きかける。音楽は神事に
結びついているのだ。
昨年、プエブラというアステカ文明ゆかりの地で演奏した時は
途中でシャーマンの男性がステージに上がってダミアンの足に
口づけた。生半可な気持ちで取り組んではいけない、と意を新たに
した瞬間だった。私たちの音楽を母国でも聴いてもらおうと5日、
西居さんの故郷の熊本でコンサートを開いたばかり。29日には
都留文科大学、2月1日にも早稲田大学で演奏する予定だ。
(わたなべ・りえ=バイオリニスト)

