2010-09-04

日本での記憶 その3 屋久島


この歌が心に響きます

私はフォークで育った世代です

だからかな?


屋久島のこと 今日は、書いておきます。

きちんと、思い出になってきたからです。



日本での記憶 その3
                        屋久島

7月20日 
横浜のゲストハウスを「行って来ます!」といって出る。また、8月にお世話になるからだ。
屋久島の後、家の長崎に寄るので、大きな荷物は宅急便で送っておいた。
なんて日本は便利なんだろう、つくづく思う。

鹿児島の空港で乗り継ぎをして屋久島に入る。メキシコで、日本での手配をしていたとき、はじめフェリーで島に行こうと計画していたが、空港と船着 場まで50分掛かることと、屋久島直行便のフェリーの本数も少なく、予定していた昼ごろに島に到着は無理だと分かり、私は、姉に急遽頼んで屋久島行きの飛 行機を予約したのだ。これはぎりぎりセーフだった。

屋久島に着くと、mixiの知り合いの知り合い、そう初対面のマイミクの方、未路せんせたるや方が、白いランニングシャツで彼のお弟子さんと言う 若い女性と一緒に出迎えてくれた。エネルギーが強すぎて、私は、どう受けてよいかとちょっと戸惑った。でも、これは私の先入観だとすぐにわかった。彼が、 「先ず、おいしいアイスクリーム食べに行こう」と、抹茶アイスを出してくれる土産店に直行したからだ。
ジャズミュージシャンが ランニング姿で 抹茶アイスを美味しそうに食べている姿。
何だ、いい人じゃん。
mixiで 何度かメールのやり取りをしていたが、やはり まだ会ったこともない人に、色々と甘えてしまうのは、気が引けて(家族3人だし)、宿泊先やら、次の日の島のガイドを他に頼んでいた。でも、その後は、この方に甘えてもいいなと思えた。

島には、以前、韓国でご一緒したことのある虫丸さんという舞踏家が住んでおられ、私は、彼にも連絡し、そんなに親しいと言うのでもないのに、気さ くに遊びにおいでと誘っていただいていた。未路さんと虫丸氏も実は知り合いだと分かり、車のない私たちは、未路氏が空港から離れた虫丸さん宅へ、連れて 行ってくれることになり、みんなで虫丸家で食事をする手はずになっていた。途中、未路氏の手作り自宅を拝見して、ウミガメの産卵地で有名な浜近くにある舞 踏家のアトリエに向かった。

未路氏宅へ向かう途中、何故か立派な道路を通りながら、愛子岳、女川、男川など、未路氏は、車を止めては、説明をしてくれた。娘は、そんなことよ り蜘蛛の巣見つけて、道路にしゃがみ込んだり、お土産やさんの犬に構ったり、セミ・セミと、蝉のことばかり気にしていたりしていた。
もうすぐ、虫丸家の近くだというときに、山肌から海に向かって大きな虹を発見、これにはみんなで感動。なんて素敵な島の歓迎だろうか・・・その後、巨大なトンボが、頭上を通過、娘と私は、呆然と立ってみていた。

『今、お風呂から出てきて、かみさんが入ってるところだから、もうちょっと待ってて』と虫丸氏から連絡。ウミガメの産卵地の浜で少し休憩、入り江に入り込んだ小さな魚を捕まえようとズボンを捲り上げて、早速 娘は、一人遊び。12歳の娘は、5歳のあの頃にすぐ戻る

母ウミガメの残していった足跡が、きれいな砂模様となって何箇所かに残っていた。
「昨晩、お母さんウミガメがやってきたのだろうか」と、その様子を心で描いて、温かくなった。

『おーい』と。白いタオルで、髪の毛を拭きながら、日焼けして引き締まった上半身を見せた、虫丸氏が呼びに来た。
2006年に会ったときより若くなってる。玉手箱開ける前の浦島太郎さん?

少しずつ、私は、現実から遠のいていく・・・・

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