来年からNPOアートトラストを基盤にして活動しようと相談していたそこの代表者の方が、メキシコに戻る前日に、緊急入院され、そのとき、本人と携帯で会話し、すぐに退院出来そうと、しっかりした口調だったのに、私がメキシコに着いてしばらくして、病状が思ったよりも重く、本人もそれを知り、可なりの動揺だと聞かされ心配していた。先日、そのアートトラストの代表者の様子をメンバーの方がメールで知らせてくれて、手術は、今月末になり、手術事態は大変なものではなく、本人も落ち着きを戻し、冗談も言えるようになっているとの様子。それを聞いて、なんだかホッとしたものの、いつも おっとりとして、可愛い方だけに、どうか怯えて欲しくない、と、そう、願わずにはいられない。
ケラケラ笑いながら死ぬ これが私が理想とする死に方だ。
ケラケラとまで行かなくても ニッコリと『あー楽しかった』と言って逝きたい
それには、いつも あー楽しいと言う気持ちが 繋がっていた方がいい
だって、いつ訪れるか分からないのだから、最後なんて
主人の実家でも舅が、来月大きな手術を受ける。
85歳、アートトラストの代表者と同じ歳。
一昨日の土曜日に、親戚の家で、娘が電話で話したらしい。
娘は、『グランパは面白い』と言って帰ってきた。冗談を言って娘を笑わかせたようだ。
この前、メキシコで知り合った日本人の友人とお茶した時に話していたことを思い出す
2年ぐらい前に調査したもので、『今、幸せと感じている』と答えた人を国別に調べたらメキシコの人が最上位、最下位が日本だったそうだ。
あんなに物が溢れてて、明日食べるものもにも そう不自由していない日本、仕事なんてないし、大家族で子供に物乞いさせてる生活者の多いメキシコ、幸せの感じ方の違いをここで考えてしまう。幸せのターゲットの違いなのかも。
毎週のように 大家族が集まり食事をするという メキシコの習慣は大きいと思う。
やはり、人は、物の中に囲まれているより、人の中に囲まれている方が自然なのかもしれないな。独りは、煩わしさがない分楽なようだが、共感する機会が少ないのかも、かといって、生まれてから あまりそんな習慣のない者には、毎週大家族で集まることは一苦労だ。
私のベストは、時々 たくさんの友達と 温泉一泊して羽伸ばすのがいいかな、まったくの理想だね。朝まで飲み明かすってのも 昔はよくやったが、あれもよかったな
日本で久し振りに友達とお酒飲んだりして感じたが、これといって話をしなくても ただ顔を見ただけで、それだけで、よかたよかったと、満足してしまってる自分がいた。
安否を確かめ合う喜び この意味は何なんだろうか・・・
もしかしたら 永遠になる別れを どこかで察知しながら、「ほら、まだじゃん」と安心する、それに似てるのかも。
限りあるものの中に 幸せはあるのかな・・・
では、「今 幸せですか?」と聞かれたら・・・・
やっぱり、「結構 幸せじゃん」 と答えるな
愛してる人が、数え切れないくらいいる、日本にも カナダにも、メキシコにも
そして、いつからか、人の愛の深さも読み取れるようになってきた。
有難いと思える
『結構 幸せじゃん』 それって
「愛らしく人となる」 作; カヤノノ
誕生・家族の中の位置・父母からの期待・社会との位置・自分との距離・恋愛・結婚・離婚・模索・出会い・結婚・出産・育児・社会との隔たり・夫との関係・家族の中の位置・持続・異国の文化・夫の家族関係・模索・社会との位置・模索・気付き・人との繋がり・宇宙の中の自分・決断・行動・愛らしく人となる
時間が掛かった
なんて遅い発芽
時間が掛かった理由
不安
常識から生まれた不安
長かった
深く愛されていることに気付けば、不安は些細なものとなる
些細なことが問題なのは、大きな全てを見ないから
鏡に映る一固体
時間を掛けてよく見れば
固体を包む全てのものが見えてくる
そして固体は
愛らしく人となる
0 件のコメント:
コメントを投稿