2009-10-12
主人が、突然、クビに
主人が、突然、クビになった。
金持ちのコネ、教育者と権力者との金絡みの繋がりを、今回の事で私たちは、嫌というほど思い知らされた。
主人は、授業の態度の悪い子に、レポートを書いて親に渡した。
この相手が、私立学校モンテッソーリの校長の友で、大金持ち。主人は、そのことは、承知して、レポートを書いたが、その親との面談の場で 主人が、発した一言に相手が激怒した事が、今回の解雇に繋がった。
「あなたのお子さんは、私を苛立たせる」
教師が、口にしてはいけないことと校長からも注意を受け、謝罪したにも 拘らず、15日間、授業を監視し、一度でも監視者が、良くないと判断したら解雇にすると申し渡された。その一回目のクラスで、簡単に首と判定されたわけだ。
いいクラスを持てたと安心していた彼は、悔しくてならない様子。
ま。、そんなことで、明日行われるフェスティバルどころではなくなった。
今日、最後の授業を行い、校長が子供たちに嘘八百並べて、主人が辞めることを告げると、みんなが、泣き出したそうだ、娘は、一部始終を詳しく話してくれた。校長が、教室を出た後、主人が、「僕の選択ではないんだよ」と告げると、「エーッ!」っと、声が上がり、「私たちのせいだー」と また泣き出したそうだ。
今回の問題の子も泣いていたらしい。
主人の前にも このパターンが幾度もあり、2年前に、ごっそりといい先生たちが、クビになって、その人たちで他に学校を作ったと話を聞いていた。そのとき、生徒もかなり移動したそうだ。年々生徒数が減って、経営が苦しい学校なのだ。
私としては、ご苦労さん、これからは、あなたの楽しめることやりましょうというところです。
2009-09-30
心屋仁之助 公式ブログ 「心が 風に、なる」
http://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-10330698912.html
に、こんなことが書いてありました。ここにシェアしたいと思います。
何もかもうまくいかないあなたへ
何をやっても、楽になれない。
何をやっても、うまくいかない。
自分を責めてしまう
バカにされているように感じる
イライラしてしまう
後悔してしまう
辛い
苦しい
原因が見つからない
出口が見つからない
不安でしようがない
怖くて仕方ない
人が怖い、人が嫌い
そんな自分が嫌い。
あがったり、さがったり。
落ちて動けなくなったり。
周りを攻撃してしまったり。
過去を後悔し、未来を不安に思い、
行くも地獄、戻るも地獄、とどまるのも地獄。
何もかもが受け入れられない。
こんなにがんばってるのに。
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色んな抜け出し方がある
色んな方法がある
色んな成功法則がある
でも、それは、一つの方法。
誰かに当てはまる方法。
最大公約数かもしれない。
僕も、様々な方法を提供する。
でも、最終的に解決するのは、その人。
そして、それを解決する方法は、
どんなきっかけでやってくるのかわからない。
「何とかしようと思わないこと」が
何とかなる時もある。
「なんとかしようともがき続けること、あきらめないこと」が
何かを解決する時もある。
つまり、
「あきらめたとき」も
「あきらめなかったとき」も
どちらにも可能性はある。
でも、実は
「何とかしようとすることを、あきらめたとき」
本当は、何とかなっていることに気づく。
本当は、沢山持っていたことに気づく。
「何とかすることを、あきらめなかったとき」
本当は、何とかなることに気づく。
本当は、沢山持っていたことに気づく。
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■何もかもうまくいかない、いってないと「思ってる」あなたへ
結局はどういうことだろう。
ここまで書いたこと、それは
「要するに問題はもう解決しているかもしれないんだ」ということ。
つまり、もう、欲しいもの、今の自分に必要なものは
持ってるんだ、ということ。
なのに、持っていないと叫んでいる状態が「問題を感じている」状態。
不平不満の状態です。
周りに・自分に。
つまり、問題が起こる時に、
必ず存在する共通するキーワードは
「感謝が足りない」
ということ。
そのことに気づかせてくれるだけ。
よく考えてみよう。
誰への感謝が一番足りないのか。
そこに気づくために
問題は、ある。
本来、一番感謝すべき人に感謝していない、
そういう時、問題は起こる(感じる)
僕はそう思うのです。
2009-09-16
2009-09-14
2009-09-05
いい話を シェアします
私は娘を病気で失いました。 | ||
2009-09-02
土砂降りの雨のあと
日記を書くことに少し抵抗がありま す。夏の初めに すべてがうまく行ってるようだったのが、思ったより難しい方向に向かっているからです。予定していた事がうまく運んでいません。つい癇癪 を起こしてしまいました。この癇癪は、苦しいです。私の心の癖だからです。この癖を直さない限りは、本物にはなれません。
こんなとき、タイミングよくある本に出会いました。
日本に帰っていたメキシコのお友達が、日本で買ってきた本なのですが、メキシコ人のルーズさに可なり参っていて、落ち込んでいた私に、ずばり、回答を与えてくれました。
その本の、全部には、頭をひねりますが、文中に こんなことが書いてありました。
水に書いた文字、砂に書いた文字、岩に書いた文字
潜在意識の奥深くにため込まれた内容は、カルマとなって私たちの人生にさまざまな影響を及ぼします。俗にいう不幸な出来事として表面化する場合と、恵ま れた幸せな境遇として、この世的にはラッキーと思われるような幸運をもたらすこともあります。仏教で言う「善因善果、悪因悪果」ということです。神様や仏 様が勧善懲悪をされるというわけではなく、いずれも因果の法則を理解させるために仕組まれた現象なのです。「善果」に有頂天になり、努力を怠ると、悪いカ ルマをつくり、いずれは「悪果」となって返ってきます。このように波動の法則は大変奥深いものがあるのです。
過去にため込んだ悪因の結果は甘んじて受けとめなくてはなりませんが、そのことによって新しい悪因をつくらないようにするにはどうすればよいのでしょうか。
そのことを仏教では「水に書いた文字(よくやった)」「砂に書いた文字(よかろう)」「岩に書いた文字(避けよ)」に例えて教えています。悟りを開いて いない私たち人間が、この人生で直面する様々な出来事によって、瞬間的によくない波動を発信してしまうことは避けられないことでしょう。たとえば、通勤電 車の中で足を踏みつけた相手が、わびることもなく涼しい顔をして降りていくとき、「こら、ひとこと謝れ!」という気持ちが起こるのは自然な感情でしょう。 あるいは勤務先の上司から些細なことで厳しく叱られたときに、「この野郎。覚えとけ!」という気持ちを持つことがあるかもしれません。
水に書い た文字というのは、そのような気持ちを持ったとしてもすぐに思い直して、相手に対して悪い波動を発信したことを、心の中でわびなさいという意味 です。そうすれば、マイナスの波動が中和され、あたかも水の上に書いた文字のように、書くそばから消えていって、潜在意識に刻まれることはないというわけ です。
砂に書いた文字というのは、風が吹くと砂の上の文字が徐々に形をなくし、やがて消えてしまうことを表しています。それは、人を恨んだとしても、夜寝るまでにその対象となる人を許し、逆に恨みの念を発信したことをわびなさいという教えです。
夜眠りにつくと、潜在意識の扉が開くと言われています。そのとき、私たちが心に残していた恨みの気持ちや不安な気持ちなどが、まとめて潜在意識の中に畳 み込まれるのです。しかも、潜在意識の中に入った心の傾向は、睡眠中にどんどん成長していくと言われています。それはちょうど車のハンドルに例えられてい て、私たちが寝る前に切ったハンドルの状態は、睡眠後もそのまま固定され、車はその方向に進んで行くのです。
恨みや不安、怒りなどの気持ちを抱 いたまま眠りにつくと、その気持ちはますます強化され、目が覚めたときにはさらに強い恨み、不安、怒りなどの気持ちと して意識されることになります。そして、「類は友を呼ぶ」の法則の通り、現実の世界でもさらにそのような気持ちにさせる出来事を引き寄せてくることにな り、それはまた潜在意識にため込まれ、成長していくという悪循環に陥ることになります。
このように、眠りにつくときにまだ気持ちの整理がつかな いものを残しておきますと、その気持ちは潜在意識にしっかり刻まれることになります。ここまでく ると消すことのできないカルマとなり、病気や事故といった現象として形を現してきます。これを、岩に書いた文字と表現しているのです。
夜寝ると きに、その日の出来事を振り返り、人を恨む気持ちがあればその人を許し、また恨みの気持ちを抱いたことを反省し、わびることです。また、このよ うな気づきを与えてもらったことを感謝し、「ありがとうございました」とお礼が言えれば悟りの境地と言えるでしょう。もちろん、最初は「ありがとうござい ました」を何十回も唱えてから寝るというふうに、形から入ってもらえばいいのです。
同じように、不安な気持ちが心を占領しているときは、「大丈 夫」「きっとうまくいく」「もう解決した」といった言葉を何度も口ずさんだあとで眠りについ ていただくことをお勧めします。これは宗教が教えている内容ではありません。潜在意識がどのような働きをするかという科学的理解に基づいた処方箋で、私自 身も実践してきたことです。
以上
この本を読んで、心が落ち着いてきて、感謝の気持ちが芽生え、心の中の憤りが消えていったとき、三日前に、主人に怒りをぶつけて、会話が減っていた仲、彼から、やさしく声をかけられました。
主人;「今日の気分は、いいですか?」
私:「うん、よくなった」
主人;「きのうより、いいですか?」
私;「うん、いいです。」
主人;「おとといより、いいですか?」
私(苦笑いして);「うん。・・・・ありがとう」
こういう時、背丈も、気も短い私は、背の高い主人に、身長差と同じくらい、気の長さの差を感じてしまう。
気づくと、外の土砂降りの雨が、上がっていました。
心の中の鬼が、元気になると、心が苦しいと、何度も、実感しているのに、また、雷を落としてしまいます。
雷が起こした土砂降りの雨を じーっと止むまで、苦にせず待ってくれてた人に感謝してなりません。
2009-07-12
手紙
こんにちは、アート・トラストの皆さん、
大変ご無沙汰しておりますが、お元気でいらっしゃいますか?
そちらは、もう梅雨も明け、暑い夏が訪れている頃ではないでしょうか。
こちらは、まだ 雨季の時期が続いており、夜に突然雨が降ったりしています。
その雨も豪雨で なかなか迫力があります。
去年は、この雨の有り難味がわかりませんでしたが、今年は、強烈な暑さを知った成果、この雨の時期を心待ちにし、自然とはよくできたものだと感謝しています。
メキシコのレオンは、靴の産業都市なので芸術文化には、もう一押しといった所ですが、最近は、それを何とかしようという人たちが増えてきてるようです。
私の周りでも、私の望む「芸術をもっと身近から」というテーマと繋がる人たちとの出会いが増え、これからどんどんその輪が広がっていくのではないかと期待しています。
いったい、アートとは、人にとって、どんな意味があるのか、自分は、なぜそのことを抜きにしては生きていけないのか。自己満足的な表現活動に疑問を抱き、ギャラリーに自分の絵を飾り売ることにも疑問を持ち、舞台や、絵を描いてるときに起こる神聖なあの感覚を、独り占めするのではなく多くの人と共有するにはどうしたらいいか。
こう思い始めてから、ごく自然に川の流れのように事がうまく進んでおります。
今、レオンの一番古い街にアートトラストの活動の場として、ギャラリー兼住まいの家を借りようと探しています。大方目星がついていますが、かなりのアンティークな家で、うまく手入れができるか予算はどうかなど、後一歩のところです。
心の中で、ある確信が芽生えて、それが何なのかよくわかりませんが、素敵なギャラリーができると変な自信を持っております。
先輩方の人の繋がりを大切にする生き方をそろそろ真似していこうと思います。へへへ
現在 私は、グアナフアト州立アート大学のカルチャーアカデミーで一般向けの「ムーブメントによる瞑想」といったマイムを基本にした6ヶ月コースのクラスを開いています。
今年の2月からスタートし、8月中旬から、次のコースが始まります。その他にミルトン・エリクソン療法のセンターでもクラスを開くことになりました。
あと、、日本語のクラスと日本の文化についてのクラスを個人で運営している外国語アカデミーで教えています。
絵の方は、アート大学で、9月中旬から一ヶ月間、個展を開く予定です。
絵本にも今、興味が出ています。
・・・・中略・・・
アートに関わって来れた自分の境遇に感謝してならないのと 慈悲の心を通して、はじめて、高い精神世界と繋がることも頭でわかるより、実感として体験し、こういう事かと痛感させられています。その逆で、エゴに走るとその反応は素早く、次々と事がマイナスへ進みます。これも体験しました。
毎日毎日の心の掃除が、どんなに大切であるかも、十分理解していますが、やっぱり、怠けてし舞いがちです。そんな時、自分のクラスで共振し合える場があることは、本当に助かります。
きれいなピュアな心に少しでもなれたら、本来の持って生まれてきた自由を味合えます。
そういう状態のときは、自然と美しいものが見えてきて それと同化してしまいます。
これが、私のアートの状態なのです。アートは、絵や、彫刻という物体ではなく それを創造したときの作者の心の状態だと思います。自由な心がアートなのです。
何者にも束縛されない強い自分、そして、何者でもないという自分が、そこに見えたとき、
元々の心の状態にもどり、安心でき、心に宇宙を見ることができるのだと思います。
アート・トラストとは、ソウル・トラストつまり、「魂に正直に生きること」なのですね。
先輩方の大きな思いやり、アーティストとは、そういう人たちのことだとも気づきました。
そんな、思いで、タコスとテキーラを食べて飲みながら、歌うたって、問題は、みな マニャーニャ、マニャーニャ(スペイン語で、あした、あした)と、笑って、アート・トラスト メキシコ支部第一号(勝手に言っています)に向けて、力まず夢を描いてる私です。
それでは、この辺で、くれぐれもお体を大切に・・・
メキシコより、愛を込めて
萱のの



