2009-09-30

心屋仁之助 公式ブログ 「心が 風に、なる」

心屋仁之助 公式ブログ 「心が 風に、なる」
http://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-10330698912.html
に、こんなことが書いてありました。ここにシェアしたいと思います。



何もかもうまくいかないあなたへ


何をやっても、楽になれない。

何をやっても、うまくいかない。


自分を責めてしまう

バカにされているように感じる


イライラしてしまう

後悔してしまう


辛い

苦しい


原因が見つからない

出口が見つからない


不安でしようがない

怖くて仕方ない


人が怖い、人が嫌い

そんな自分が嫌い。


あがったり、さがったり。

落ちて動けなくなったり。


周りを攻撃してしまったり。



過去を後悔し、未来を不安に思い、

行くも地獄、戻るも地獄、とどまるのも地獄。


何もかもが受け入れられない。

こんなにがんばってるのに。


------------


色んな抜け出し方がある


色んな方法がある


色んな成功法則がある



でも、それは、一つの方法。

誰かに当てはまる方法。

最大公約数かもしれない。




僕も、様々な方法を提供する。


でも、最終的に解決するのは、その人。

そして、それを解決する方法は、


どんなきっかけでやってくるのかわからない。



「何とかしようと思わないこと」が

何とかなる時もある。


「なんとかしようともがき続けること、あきらめないこと」が

何かを解決する時もある。



つまり、


「あきらめたとき」も

「あきらめなかったとき」も


どちらにも可能性はある。



でも、実は


「何とかしようとすることを、あきらめたとき」


本当は、何とかなっていることに気づく。

本当は、沢山持っていたことに気づく。



「何とかすることを、あきらめなかったとき」


本当は、何とかなることに気づく。

本当は、沢山持っていたことに気づく。


--------------


■何もかもうまくいかない、いってないと「思ってる」あなたへ




結局はどういうことだろう。


ここまで書いたこと、それは

「要するに問題はもう解決しているかもしれないんだ」ということ。


つまり、もう、欲しいもの、今の自分に必要なものは

持ってるんだ、ということ。



なのに、持っていないと叫んでいる状態が「問題を感じている」状態。

不平不満の状態です。


周りに・自分に。


つまり、問題が起こる時に、

必ず存在する共通するキーワードは


「感謝が足りない」



ということ。

そのことに気づかせてくれるだけ。



よく考えてみよう。


誰への感謝が一番足りないのか。




そこに気づくために

問題は、ある。


本来、一番感謝すべき人に感謝していない、

そういう時、問題は起こる(感じる)



僕はそう思うのです。

2009-09-16

マヤ神話「シバルバ」の入り口か?(字幕・17日)


タイトルをクリックするとビデオが出ます

メキシコの考古学者がユカタン半島で、マヤ神話に登場する地底世界「シバルバ」の入り口とみられる場所を発見した。

2009-09-14

花の命




   極楽鳥花が、変貌していく姿を毎日見ています。

2009-09-05

いい話を シェアします

最後のパレード』 (中村克・著/サンクチュアリ出版) より
本の副題は「ディズニーランドで本当にあった心温まる話」

私は娘を病気で失いました。
  当時5歳、もしも幼稚園に入れていたら年中さんです。ひらがなとカタカナが読めるようになり、いろんなことに興味を持ちはじめたころ、突然病気にかかりで原因がわからず、治す手だても見つからないまま他界してしまいました。
  娘の死は、私たち夫婦をたいへん苦しめました。
  とくに妻は精神が不安定になり、私と少しでも意見がかみ合わないといきなり大声で泣き叫んだり、食器を投げつけたりするようになりました。
  私ももちろん娘を失って深く傷ついていました。でも、妻の苦しみを理解していたつもりなので、彼女のヒステリーはいつも黙って見過ごしていました。妻は私 が仕事で家を空けている聞もずっと娘と一緒でしたし、娘が病気になり入院してからもずっとそばに付き添っていたのです。私は残業を理由に、病院へ行かない こともしょっちゅうでした。
  ずっと妻に対して悪いなとは思っていました。でもいずれ娘が退院できたとき、どこかへ遊びに連れていけば埋め合わせができるだろう、と気楽に考えていました。
  そして仕事先で娘の訃報を間いた瞬間、私は自分の大きなあやまちに気がつきました。なんというかけがえのない時間を見過ごしてしまったのだろう。もっと長 く、1分でも長く、娘と一緒に過ごしていればよかった。たとえ死を避けられなかったとしても、最期を看取るまでずっとそばにいてあげたかった。本当に後悔 しました。
  子どもに先立たれた夫婦のこころには、先行きの見えない真っ暗な穴が、どこまでも大きく広がっていくと言います。実際、そのとおりだと思いました。ときど き、うちの子はやかましい、言うことを聞かなくて憎らしい、と感じることがあったとしても、その子が最初から「いない」という日常を仮定してみると、その 先のことはもうなんにも考えられません。我が子を失うという事態は親にとって、自分たちのこととしてまったく理解できないのです。

  喪失感に耐えきれなかった私たち夫婦は、ただ毎日けんかを繰り返すしかありませんでした。私もいけないとは思いつつ、ときどき言い返してしまうことがあり ました。状況はどんどん悪くなっていきました。そんな風にして私たちは精神的にも、肉体的にも疲れ果てていきました。
  ある日、妻と近所を歩いていたときのことです。彼女は言いました。
 「ただあの子が元気なだけで幸せだったのに。突然いなくなっちやうなんてつらすぎるよね。私たち、これからいったいなにをすればいいんだろう。いままでなんのために一緒に暮らしてきたんだろう。よくわからなくなった」
  妻は目にいっぱい涙をためて、公園で遊ぶ子どもたちをながめていました。あとで聞いた話ですが、妻はこのときいつでも娘の後を追えるよう、家に練炭を隠していたそうです。
 「ディズニーランドに行ってみようか」
 ある日、私はふとそんなことを思いつきました。そして少し迷ったあと、その考えを妻に提案しました。
 「なんで、突然」
 「いちおう約束だったし」
  生きていれば、その日は娘の誕生日だったのです。本来ならばお祝いをしてあげたはずだし、もしそのとき娘が元気に歩き回れるようだったら、大好きなディズ ニーランドヘ遊びに行っていたはずだからです。そう約束していました。娘がベッドの上で息を引き取るまで、ずっとミッキーのぬいぐるみを手離そうとしな かったことも強く印象に残っていました。
 「いやよ。いい年した夫婦だけで行ってどうするの」
 「いいじやないか」。私は勇気をふりしぼって言いました。
 「我が家の最後のイペントなんだから」

  私たちは夫婦二人でディズニーランドに行きました。
  そしてすぐに後悔しました。幸せそうな親子連れとすれ違うたびに、胸がしめつけられる思いをしたからです。ミッキーの帽子をかぶって楽しそうにじゃれ合っ ている親子。カメラをかまえているお父さん、子どもの手を引くお母さん、大声ではしゃぎまわる子ども。特に同じくらいの年であろう子どもを見るたびに、熱 いものがこみ上げてきました。私たちも本当は同じことをしているはずだった。小さな手のあったかさを思い出しました。「お父さん、お母さん」と私たちを呼 ぶ声がよみがえりました。もし娘と一緒だったらどのアトラクションに乗っていたんだろう。どんなお菓子を食べながら、どんな話をしながら歩いていたんだろ う。園内のどこに目をやっても、娘の笑顔ばかりが頭に浮かびました。
 「来なければよかったのかな」
  妻も同じことを考えていたのか、厳しい表情で私を見ました。
 「帰りましょうよ。しょうがないのよ。あなたといても悲しくなるだけなのよ」
  私は、その言葉を宣告として受け止めました。
  一緒にいるから娘のことを思い出してしまう。それは私も同じ気特ちでした。この救いようもない泥沼から這い上がるためには? お互い、新しい幸せを見つけるためには? 導き出せる結論はひとつしかありませんでした。
  子どもを亡くした夫婦は、必ず離婚を意識するそうです。お互いに今以上、傷つきたくないと思うからです。またそうすることが亡くした子どもに対する、一番の償いだと考える夫婦もいるようです。
  それぞれに思いを巡らせながらも、私は予約してあったレストランに妻を誘いました。これが夫婦にとって最後の食事になるだろうことは意識していました。
  娘が生きていたらさぞ喜ぶだろう、ミッキーマウスのショーをすぐ近くで見られるレストランです。心の中は亡くなった娘のことでいっぱいでした。なにを食べ てもきっと味なんてわからないでしょう。娘を思い出したくない、でも忘れたいとも決して思いません。一緒に過ごした楽しい思い出は、夫婦だけで共有してい る。楽しかった分だけ悲しい記憶が、これから残酷なまでに長く続いていく。そんな絶望の波が押し寄せるたびに、夫婦の間に重いため息がこぼれました。
 「お待ちしておりました。こちらにお席をご用意しております」
  キャストのあとについていくと、店内全体がよく見わたせる広いテーブルに案内されました。空いている椅子は、亡くなった娘の分です。それは私と妻の間にぽつんとありました。
  あいにくその日は非常に混んでいました。それなのに私たちは余分に席をとっています。どう考えてもほかの家族連れに席をゆずるべき状況です。ひとりのキャストが近づいてきて言いました。
 「お客さま。大変申し訳ございませんが、ご夫婦さまでしたら、2人掛けのテーブルに移ってはいただけないでしょうか。ご家族連れでお待ちになっているお客さまが大勢いらっしやいますもので……」
  まったく言うとおりでした。ディズニーランドに限らず、レストランを利用する人にとって当然のマナーでしょう。しかし私は申し訳ないと思いながら言いました。
 「混んでいるのはわかっているんです。できることなら僕も席をゆずってさしあげたい。でも実は昨年、娘を病気で亡くしていて、今日はその子の6回目の誕 生日なんです。本当はこの真ん中の席は、娘が座る予定だった。約束していたんです。だからわがままを言って申し訳ないですが、もう少しだけこのテーブルに いさせていただけないでしょうか」
  真剣な表情で耳を傾けていたキャストは、すこしうつむいたあと「お客さま。それは大変失礼なことを申し上げてしまいました。どうぞそのままゆっくりおくつろぎくださいませ」と言い残し、テーブルから離れていきました。
  しばらくすると食事が運ばれてきました。注文したフレンチのコースは2人分だったのに、なぜかもうひとり分の料理が真ん中の席に置かれます。オレンジジュースも頼んだ覚えがありません。私はあわててキャストを呼び戻しました。
 「娘の分は注文してませんよ」
  キャストは笑顔で答えました。
 「お子様の分は私たちのサービスです。どうぞお気になさらないでください」
  しばらくすると天井の照明が少し落ちて、「みなさま、食事をお楽しみのところ申し訳ありません」というアナウンスが流れました。
  なんだろうと思い、声がする方を見ると、ろうそくの火がついたケーキを片手に持って、行儀よく立つキャストの姿がありました。
 「本日は特別な日です。ここにいらっしゃるお子様の誕生日なのです。どうかみなさま、よろしければご一緒にバースデーソングを歌ってください」
  店内にBGMが流れ出すと、ケーキを持ったキャストがこちらに歩いてきました。
  するとおおぜいのお客さんが一斉にこちらを向いて、手拍子をしながらバースデーソングを歌ってくれました。
  テーブルに置かれたケーキの、ろうそくの火が消えました。どういうわけか自然に消えたのです。
 「もう一度盛大な拍手をお願いします」
  私と妻が立ち上がっておじぎをすると、おめでとう、おめでとうという声が上がり、大きな拍手につつまれました。
  そのままショーがはじまりました。そして私たちは奇跡と出会ったのです。
  真ん中の席に娘がいる。誰もいないはずの席で、娘がミッキーのダンスを見ながら笑っているのです。
  ああ。そうだ。そうだ。きみと一緒に見たかったんだよ。私は涙があふれるのもかまわなかった。ただ、娘が手を叩いて喜ぶ姿を見つめました。前よりも少し大 きくなった気がしました。うん、大きくなった。はなをすする音が聞こえました。妻も唇を震わせながら娘を見つめていました。

 「僕らは間違っていたのかもしれない」
  妻は私の言葉には答えず、ハンカチで目をおさえました。
 「別れても、この子が喜ぶはずないじやないか。僕らがこんな状態じゃ、安心して天国にもいけないんだ……。たしかにこの子がいなくなってすごくつらい。それでもきっと、僕らは今よりもっと前に進まなければいけない」
 「ねえお父さん、お母さん」娘は左右にいる私たちを交互に見て、ニコっとほほえみました。
 「今日ははありがとうね」

  盛大なショーが終わって、ふたたび店内に明かりがともされます。ゆっくりと静寂が戻ってくると、今まさに起こった出来事が、急に夢のように思われました。
  テーブルの上には、手がつけられていない料理とオレンジジュースだけが残されています。しかし妻は誰もいない席を、まだ愛おしそうな目で見守っていました。
  これは夫婦二人だけが体験した出来事です。証拠はなにもありません。ただ私たちには、この奇跡を疑う理由はありませんでした。
  私たちは寄り添い、まだにぎわいの残るディズニーランドを後にしました。





2009-09-02

土砂降りの雨のあと

日記を書くことに少し抵抗がありま す。夏の初めに すべてがうまく行ってるようだったのが、思ったより難しい方向に向かっているからです。予定していた事がうまく運んでいません。つい癇癪 を起こしてしまいました。この癇癪は、苦しいです。私の心の癖だからです。この癖を直さない限りは、本物にはなれません。

こんなとき、タイミングよくある本に出会いました。
日本に帰っていたメキシコのお友達が、日本で買ってきた本なのですが、メキシコ人のルーズさに可なり参っていて、落ち込んでいた私に、ずばり、回答を与えてくれました。
その本の、全部には、頭をひねりますが、文中に こんなことが書いてありました。


水に書いた文字、砂に書いた文字、岩に書いた文字  

  潜在意識の奥深くにため込まれた内容は、カルマとなって私たちの人生にさまざまな影響を及ぼします。俗にいう不幸な出来事として表面化する場合と、恵ま れた幸せな境遇として、この世的にはラッキーと思われるような幸運をもたらすこともあります。仏教で言う「善因善果、悪因悪果」ということです。神様や仏 様が勧善懲悪をされるというわけではなく、いずれも因果の法則を理解させるために仕組まれた現象なのです。「善果」に有頂天になり、努力を怠ると、悪いカ ルマをつくり、いずれは「悪果」となって返ってきます。このように波動の法則は大変奥深いものがあるのです。
 過去にため込んだ悪因の結果は甘んじて受けとめなくてはなりませんが、そのことによって新しい悪因をつくらないようにするにはどうすればよいのでしょうか。
  そのことを仏教では「水に書いた文字(よくやった)」「砂に書いた文字(よかろう)」「岩に書いた文字(避けよ)」に例えて教えています。悟りを開いて いない私たち人間が、この人生で直面する様々な出来事によって、瞬間的によくない波動を発信してしまうことは避けられないことでしょう。たとえば、通勤電 車の中で足を踏みつけた相手が、わびることもなく涼しい顔をして降りていくとき、「こら、ひとこと謝れ!」という気持ちが起こるのは自然な感情でしょう。 あるいは勤務先の上司から些細なことで厳しく叱られたときに、「この野郎。覚えとけ!」という気持ちを持つことがあるかもしれません。
 水に書い た文字というのは、そのような気持ちを持ったとしてもすぐに思い直して、相手に対して悪い波動を発信したことを、心の中でわびなさいという意味 です。そうすれば、マイナスの波動が中和され、あたかも水の上に書いた文字のように、書くそばから消えていって、潜在意識に刻まれることはないというわけ です。
 砂に書いた文字というのは、風が吹くと砂の上の文字が徐々に形をなくし、やがて消えてしまうことを表しています。それは、人を恨んだとしても、夜寝るまでにその対象となる人を許し、逆に恨みの念を発信したことをわびなさいという教えです。
  夜眠りにつくと、潜在意識の扉が開くと言われています。そのとき、私たちが心に残していた恨みの気持ちや不安な気持ちなどが、まとめて潜在意識の中に畳 み込まれるのです。しかも、潜在意識の中に入った心の傾向は、睡眠中にどんどん成長していくと言われています。それはちょうど車のハンドルに例えられてい て、私たちが寝る前に切ったハンドルの状態は、睡眠後もそのまま固定され、車はその方向に進んで行くのです。
 恨みや不安、怒りなどの気持ちを抱 いたまま眠りにつくと、その気持ちはますます強化され、目が覚めたときにはさらに強い恨み、不安、怒りなどの気持ちと して意識されることになります。そして、「類は友を呼ぶ」の法則の通り、現実の世界でもさらにそのような気持ちにさせる出来事を引き寄せてくることにな り、それはまた潜在意識にため込まれ、成長していくという悪循環に陥ることになります。
 このように、眠りにつくときにまだ気持ちの整理がつかな いものを残しておきますと、その気持ちは潜在意識にしっかり刻まれることになります。ここまでく ると消すことのできないカルマとなり、病気や事故といった現象として形を現してきます。これを、岩に書いた文字と表現しているのです。
 夜寝ると きに、その日の出来事を振り返り、人を恨む気持ちがあればその人を許し、また恨みの気持ちを抱いたことを反省し、わびることです。また、このよ うな気づきを与えてもらったことを感謝し、「ありがとうございました」とお礼が言えれば悟りの境地と言えるでしょう。もちろん、最初は「ありがとうござい ました」を何十回も唱えてから寝るというふうに、形から入ってもらえばいいのです。
 同じように、不安な気持ちが心を占領しているときは、「大丈 夫」「きっとうまくいく」「もう解決した」といった言葉を何度も口ずさんだあとで眠りについ ていただくことをお勧めします。これは宗教が教えている内容ではありません。潜在意識がどのような働きをするかという科学的理解に基づいた処方箋で、私自 身も実践してきたことです。

以上


この本を読んで、心が落ち着いてきて、感謝の気持ちが芽生え、心の中の憤りが消えていったとき、三日前に、主人に怒りをぶつけて、会話が減っていた仲、彼から、やさしく声をかけられました。

主人;「今日の気分は、いいですか?」
私:「うん、よくなった」
主人;「きのうより、いいですか?」
私;「うん、いいです。」
主人;「おとといより、いいですか?」
私(苦笑いして);「うん。・・・・ありがとう」

こういう時、背丈も、気も短い私は、背の高い主人に、身長差と同じくらい、気の長さの差を感じてしまう。

気づくと、外の土砂降りの雨が、上がっていました。

心の中の鬼が、元気になると、心が苦しいと、何度も、実感しているのに、また、雷を落としてしまいます。
雷が起こした土砂降りの雨を じーっと止むまで、苦にせず待ってくれてた人に感謝してなりません。

2009-07-12

手紙

NPO法人アート・トラストへ向けた私の手紙より抜粋

こんにちは、アート・トラストの皆さん、
大変ご無沙汰しておりますが、お元気でいらっしゃいますか?
そちらは、もう梅雨も明け、暑い夏が訪れている頃ではないでしょうか。
こちらは、まだ 雨季の時期が続いており、夜に突然雨が降ったりしています。
その雨も豪雨で なかなか迫力があります。
去年は、この雨の有り難味がわかりませんでしたが、今年は、強烈な暑さを知った成果、この雨の時期を心待ちにし、自然とはよくできたものだと感謝しています。

メキシコのレオンは、靴の産業都市なので芸術文化には、もう一押しといった所ですが、最近は、それを何とかしようという人たちが増えてきてるようです。
私の周りでも、私の望む「芸術をもっと身近から」というテーマと繋がる人たちとの出会いが増え、これからどんどんその輪が広がっていくのではないかと期待しています。

いったい、アートとは、人にとって、どんな意味があるのか、自分は、なぜそのことを抜きにしては生きていけないのか。自己満足的な表現活動に疑問を抱き、ギャラリーに自分の絵を飾り売ることにも疑問を持ち、舞台や、絵を描いてるときに起こる神聖なあの感覚を、独り占めするのではなく多くの人と共有するにはどうしたらいいか。
こう思い始めてから、ごく自然に川の流れのように事がうまく進んでおります。

今、レオンの一番古い街にアートトラストの活動の場として、ギャラリー兼住まいの家を借りようと探しています。大方目星がついていますが、かなりのアンティークな家で、うまく手入れができるか予算はどうかなど、後一歩のところです。
心の中で、ある確信が芽生えて、それが何なのかよくわかりませんが、素敵なギャラリーができると変な自信を持っております。

先輩方の人の繋がりを大切にする生き方をそろそろ真似していこうと思います。へへへ

現在 私は、グアナフアト州立アート大学のカルチャーアカデミーで一般向けの「ムーブメントによる瞑想」といったマイムを基本にした6ヶ月コースのクラスを開いています。
今年の2月からスタートし、8月中旬から、次のコースが始まります。その他にミルトン・エリクソン療法のセンターでもクラスを開くことになりました。
あと、、日本語のクラスと日本の文化についてのクラスを個人で運営している外国語アカデミーで教えています。
絵の方は、アート大学で、9月中旬から一ヶ月間、個展を開く予定です。
絵本にも今、興味が出ています。

・・・・中略・・・

アートに関わって来れた自分の境遇に感謝してならないのと 慈悲の心を通して、はじめて、高い精神世界と繋がることも頭でわかるより、実感として体験し、こういう事かと痛感させられています。その逆で、エゴに走るとその反応は素早く、次々と事がマイナスへ進みます。これも体験しました。
毎日毎日の心の掃除が、どんなに大切であるかも、十分理解していますが、やっぱり、怠けてし舞いがちです。そんな時、自分のクラスで共振し合える場があることは、本当に助かります。

きれいなピュアな心に少しでもなれたら、本来の持って生まれてきた自由を味合えます。
そういう状態のときは、自然と美しいものが見えてきて それと同化してしまいます。
これが、私のアートの状態なのです。アートは、絵や、彫刻という物体ではなく それを創造したときの作者の心の状態だと思います。自由な心がアートなのです。

何者にも束縛されない強い自分、そして、何者でもないという自分が、そこに見えたとき、
元々の心の状態にもどり、安心でき、心に宇宙を見ることができるのだと思います。

アート・トラストとは、ソウル・トラストつまり、「魂に正直に生きること」なのですね。

先輩方の大きな思いやり、アーティストとは、そういう人たちのことだとも気づきました。 

そんな、思いで、タコスとテキーラを食べて飲みながら、歌うたって、問題は、みな マニャーニャ、マニャーニャ(スペイン語で、あした、あした)と、笑って、アート・トラスト メキシコ支部第一号(勝手に言っています)に向けて、力まず夢を描いてる私です。
                                   
それでは、この辺で、くれぐれもお体を大切に・・・
  
                  メキシコより、愛を込めて      
                                        萱のの

2009-06-29

6月の不思議

6月11日
不思議なことが続いて、この日は、バスの中で、これまで関わった多くの方に感謝の気持がこみ上げてきて、涙した。

6月8日に私の「ぴゅあマイム」クラスの生徒さんのアレキさんの教えているという絵画教室を見学に行った。以前から、私もそこで、絵を教えないかと言われていたからだ。教室というより、露店といった方が近く、彼女は、既成の陶器の置物に お客さんが自分で色を塗る手伝いをしてるというもの、ちょっと想像と違った。私の絵は、ここでは無理だな~、と思っていると、彼女が、これも以前から、話してくれていた、あるホリスティックセンターに今から案内すると言うので、(アレキさん、少し英語は、分かるようだが、話せない。テンポの速いスペイン語で、詳しいことはよく分からなかったが)付いて行った。
スピュリチャル系のコースを色々教えてるセンターで、雰囲気もよかった。アレキさんの旦那様のお兄さんが、オーナーらしい。以前から、この話は、彼女がしてくれていたが、具体的に進まんでいなかった。そのオーナーのお兄さんが忙しくて、アポイントが なかなか取れなかったのだ。私のクラスに関する、プリントを受付に置いて その日は帰った。
2日後、連絡があり、今日会うことになった。

今日、12時 センターで待ち合わせ、もう一つの本部みたいなところに連れて行かれた。迎えに来てくれた人は、英語が通じた。私は、付き添いもなしで、上手く話せるかなと思ってはいたが、その日の朝、自宅のコピー機の前で、作業している時、3階の部屋の小さな窓から、私を狙ったかのように、日の光が強く射して来たので、この日は、結果が うまく行くような気がしていた。
予想は、当たった、オーナーのアントニオさんは、とろけるぐらいの優しい目をした方で、言葉は、うまく通じないけど、お互い会うべき人に会ったな、という感じで盛り上がり、8月から週二回で、クラスをはじめることになった。
名刺代わりの私の羅漢さんの絵のポストカードを渡すと、『あなたの絵をここに飾ってください』と、受付に入って正面の壁に、黄色の縁取りしてある、四角い大きな絵のコーナーを指差した。あの壁に、どんな絵を描こうかとウキウキしながら、お昼を招待してくれた もう一人の生徒ホセさんの家に向かった。

我が家は、今、移転先を探してるのだが、ダウンタウンで観光地っぽい、レオンの凱旋門がある辺りを気に入り、その周辺を探している。このことを、私のクラスのみんなに話したところ、ホセさんの家が、その凱旋門のすぐ近くだということがわかり、びっくり、彼女から、一軒貸家がそういえばあると情報を貰ったので、早速 その家を見に行って、またびっくり、探し回っていて、なんとなくあの家は、貸家かも 借りれるといいなと 以前思っていた家だったのだ。とりあえず、ホセさんに連絡を取ってもらっていたが、貸してくれるかどうかの返事が、なかなか帰ってこないので、あきらめ状態だった。そんな思いで、今日、ホセさん宅にお昼を呼ばれに行った。
この日、ホセは、いつもの可愛い笑顔に勝って、満面の笑顔、『ナブック、ミラクル!』と、私の名をいつものように鈍って、叫んで、ハグした。なんと、家の持ち主から 今日電話があって、貸してくれると返事があったのだ。それも、こちらの希望価格で。
なんでも、その家は、ホセのお友達だった持ち主が亡くなってから、姪っ子3人のものになっていたらしく、今まで3年間、人に貸したことがなく空き家になっているらしかった。お化け出るかも・・・楽しいぞ
テンションが一気に上がり、お昼をご馳走になった。

ホセさんの家には、鍵が掛かっていない、いつも人が出入りしている。特に お昼時は、色んな人たちがやってくる。それを子供っぽい笑顔で迎えるホセさん、彼女の手作りの料理の数々は、追って紹介することにして、この日は、通訳してくれてるエリちゃんと、初めて会う老紳士、ファーザーと紹介されたので、「誰のお父さん?」と聞いたら、教会の神父様であった。そうか、ファーザーだよな。
ホセのお兄さんは、可也、陽気な方、その はしゃぐ彼を 横で神父様が、首を振って口ぐせのように、優しくなだめて、なにやら言ったので、その言い方とジェスチャーを真似て、私がスペイン語を口にしたら、皆大笑い。
神父様の落ち着いた振る舞いに、ホッとしたのか、自分らしく自由な気分で、和んじゃいました。早々、借りたいと思っていた家の住所の番号にも ちょっと惹かれていたのです。7 5 6 ( な・ご・む ) なごむ家 な分けですよ。

そんな中、食事中に掛かっていた音楽に、はっとした。子供の頃 よく学校の放課後に流れていた、聞き覚えのある曲だったからだ。『遠き山に日は、落ちて~』この曲は、日本で聞いていたと説明したら、今度 日本語で歌ってね。と言われた。
帰り道、この歌詞の、「日は、落ちて~」の先が出てこない。
海外で、日本の曲に感動したのは、これが二度目だ。
カナダで、一人ぼっち 家にいるときに、『ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン、ハイハイ』と、ラジオから流れてきたときには、涙して、この歌、歌ってましたね。あの感動は、分かる人には分かる。

帰宅中のバスの中、幸せに涙して、これまで 親切にしていただいた方たちの顔が浮かんで絶えなかった。
特に、カナダの家の隣に住んでいた、ジェーンの顔が浮かんだ。暗い顔の私を、さりげなく労わってくれて、笑わせてくれてた彼女の皺一杯の顔だ。
ここに来て、今度は 私も和みを人に与える余裕が出てきたことに あーやっと自分らしくなってきたな~と、感謝した。