2008-05-26

暇な小なべ

おはようございます!5月18日朝10時です

三男さんの手術も無事終わり、昨日、私と旦那と娘も お見舞いに行った。
なんと、今日強引に退院してくる。
姑と三男嫁の仲は、どんどん良くなっていくようだ。
そして、大喧嘩した三男と舅もだ
「雨降って地固まる」であります。

最近、私の頭に、アイヌのお話、「暇な小なべ」が浮かんでいる。

(時間があったら朗読を聴いてみてください)
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/skayano/fm20071014.htm

小なべを自分とダブらせている

2008-05-15

5月15日

オーラ!
今年の夏、メキシコに行くことになったので、スペイン語の練習ちょっと始めました。
この話は、後ほどすることにして・・・・

今日は、三男さんの手術の日。朝5時に起きて、姑と三男夫婦は、病院へ行った。

舅は、クラリネットの演奏の仕事へ、主人は、お隣のジェーンのご主人の元で アルバイト、
二人とも、朝8時半に出て行った。

Good News 私のパスポート、きのう マニラから Eメールが届き、すべて無事、手続きが終了し、パスポートもこちらへ送ると あった。
やっぱり、ちゃんと届いていたんじゃん!バンザーイ

ジェーンから頼まれていた、愛犬ハーリーと、二匹の猫の絵に 取り掛かろう・・・
きのう、ジェーンから「待ってるよ!」と、催促された。へへへ

ゴミと化しつつあるデスクの細々とした物を、どこに どう仕舞えばいいか、ため息ついてしまう。
この家に来て、いつでも引っ越せるようにと、荷物を ダンボールから開けて出しては 仕舞っていた生活、すっかり、何がどこにあるかごちゃごちゃになっている。 ま、いい訳だけど・・・
片付け下手の 几帳面なA型の私は、やっぱり、きれいにしなきゃと思ってるわけ、
0型の旦那は、これでいいじゃんと、動かないわけ、なんか損してる感じ・・・・

三男の嫁さんは、魔法使いのように、すっきり出来る人だ。何でも、未練無く 処分してしまう。
夫婦揃って きれい好き、我が家と真反対。
主人も私も 最終決断が、なかなか出来ないタイプ。
そう言って、嘆くと 三男の嫁さんが、片手を 「はい」と 挙げて、「私が決めてあげる」と、
立候補してくれた。 お願いしてみようかな・・・魔法使いに

2008-05-14

ほっとした一瞬

5月13日夜11時
お休みの前にもう一回、日記をつけておこう

お昼の2時ごろ、主人の古いお友達が、BC州から夫婦で訪ねてきた。10年ぶりの再会だ。
キャンピングカーで、やってきて、これからカヌー下りをやると言う。
不思議なのは、ご夫婦とも まったくと言っていいほど 変っていなかった。
とても しゃれたジョークを交わし、知的で健康的な夫婦仲、まったく素敵な人たちだ。
ほっとした一瞬でした。

お友達が帰った後、夕方5時から、お隣のジェーンさんからの紹介で、以前もやったことのあるアルバイト、一戸建てマンション集合住宅へ 敷地内の草木の世話に行った。
ジェーンも一緒だった。まだ、そんなに雑草も出ていなかったので、ごみを拾って、枯れ枝を整備してきた。
庭をいじっていたら、アジア系の婦人が家から出てきて、彼女が植えた挿し木の木が、死んでるか生きてるか 私に聞いてきた。
何でも中国の漢方に使う実がなる木らしい。そして私に中国人?と質問してきた。
日本人だと答えると、「おはようございます、こんにちは、おいしいです」 と夫人の口から日本語が、次々と出てきた。
何でも、20年ぐらい前に一週間に一度、日本語を習っていて、そのとき優秀な生徒だったので、先生が特別 もう一つのクラスを受けさせてくれて、週二回習っていたそうだ。
「続ければよかったのに」と 私が言うと、「あなたから習おうかしら」と言ってくれた。
このバイトが 定期的になったら、また、遊びに来ますよ と返した。
彼女の名は、セレナさん、36年前にカナダに来て、今は、63歳でリタイヤメントしてるそうだ。
名前の響き通り、清らかな感じの人だった。
アジア人の穏やかさに触れて、二度目の ほっとした一瞬でした。

夜の8時頃、家に帰ると、みんなは先に 夕食を済ませ、リビングでくつろいでいた。
面白いテレビ番組で、笑いが絶えなかった。三男夫婦も 舅夫婦も、みんな笑っていた。

「三日前の大喧嘩は、無かった事にしようよ」と 笑い消そうとしてるように見えた。

そして、今日は、二回も 舅が姑に 熱いキスをしてるのを キッチンで見かけた

やっぱり反省してるんだね

三度目の、ほっとした一瞬でありました。

2008-05-13

晴天の霹靂 続編

5月13日朝9時10分です
おはようございます!

何があっても朝は来るもんだ

きのうの リビングでの仮面劇を 地下で様子を伺って、見ていた私です。


      ’青天の霹靂’ 続編

三男と舅がぶつかり合った次の朝、夫婦で何もなかったように、朝食を食べに来て、もちろん舅ともテーブルを囲んで、会話していた。
思ったより、早く解決するものだと思いつつ、その日の夕飯には、彼らは姿を見せなかった。姑は『私には、何も出来ない』と、力を落とし、舅も気まずそう。
暗い夕飯を終えて、娘を寝かせた後、主人が先に行ってる、三男のキャンピングカーへ私も顔を出しに行った。
「ハーイ」と明るく迎える三男、何か飲むかい?の質問に、「強い お酒がいい、今日は酔っ払いたい気分だから」と、笑って返した。

三男の話をまとめると、舅との問題は、彼が十代の頃からのものらしい。
主人も舅とは、挨拶するとき抱き合わず、握手だけだ。なんだか冷たいなと思っていた。
ま、これは、根が深そうで私は見てるだけだ。でも、今日の夕食での 二人の、様子を伝えてみた。
舅は、三男が現れないことを気にしていたし、姑も悲しそうで、お葬式みたいな雰囲気だった。と話した。
「明日も来ないの?」と聞いてみた。
三男は「このごたごたは、僕が、舅のところへ行って、明るく会話し始めれば、一時間も掛からず 元に戻せる。でも、後 二日間、彼らには、考える時間を 僕は与えたい」
そして、舅が、三男を はじめ兄弟三人を いままで事あるごとに、蔑んでいた事を語った。
舅と姑の間の 夫婦間の不仲が全ての問題であることも話した。
これは、私を含め、全員が暗黙に分かっていることだった。

過去は過去で、これからが問題なわけだが、本人等の関係と態度や考え方が、変らない限りは、うまく行くはずがない。

私は、キャンピングカーを後にし、この三男さんも なんだか凄いな、と思えた。
80才越してる、人たちに、わざわざ お仕置きすることもないではないかと・・・・ふ~む。

そして、きのうの 夕飯に 二人は姿を見せ、リビングで、くつろいで、舅とも笑いを交わして帰った。

それで、私は、地下で、その仮面劇を観覧していたわけです。

このごたごたの後、その前まで明るかった姑夫婦は、以前の いい合いの姿を見せ始め、そのイライラを、私たちに向けている。
でも、前と違うのは、それをうまく受け止められるようになってることだ。
自分を含め、完璧な人はいないのだから・・・

しかし、一度下がった、エネルギーのトーンは、なかなか また、上げるのは難しい。

青天の霹靂

ここのところ、畑の手入れやら、木の伐採など、農家育ちの三男の嫁さん中心に、みんなで働いて、すっかり、80才を過ぎた舅も機嫌を良くしていた。
去年、我を張って、息子の手伝いを拒否したばかりに、野菜が不出来だったので、今年は、素直にみんなに手伝って貰う気になったのだろう。
舅は、主人が18歳のとき、姑と結婚した継父だ。
だからか、息子に弱いところを見せるのがいやらしい。

ケローナから来た長男は、悪い足を引きずりながら、畑に腐葉土を撒くのを手伝っていた。
心臓にぺースメーカーを付けてる三男は、腕を組んで、ニコニコしながら、畑のみんなに、もっぱらアドバイス。
次男である私の旦那は、マニラに郵送したはずの私のパスポートが、まだ、着いていないことが発覚し、郵便局やら、マニラのカナダ大使館との連絡にあたふた。
とりあえず、私のパスポートは、マニラまでは郵送されてることが、解明。
しばらく大使館からの連絡を待つことになった。
いざとなったら、パスポートのコピーがあるので、紛失届けをすれば15日で、パスポートは、作ってもらえる。

そんなこんなで、夕飯も賑やかで、夕飯の後、私のお気に入りCD’好色人種’の曲を 掛けて、リビングが六本木のクラブ化。みんなでダンス。やはりこっちの人は、みんなノリがいい。

長男がケローナに戻り、私たち家族は、娘の合唱団のコンサートへ出掛けた その夜。
この楽しかった一族の絵は、また、過去のものとなった。

我々が、コンサートから帰ってくると、みんなの様子が変だった。姑は、三男の部屋で泣きじゃくり、それを、嫁さんがなだめていて、舅はおどおど、 すぐに地下に姿を消して、いつものクラリネットの練習を始め、三男は、いつものスマイルを向けながら、感情を押さえ込んでる様子、そして、敷地に停めて あった、彼のキャンピングカーに行ってしまった。
いったい何があったのだろう・・・・・

落ち着いた姑と主人がリビングで、深刻に話し始め、私は、三男の嫁さんに 『何か、見損なったかしら、私たち』と、聞いてみた。
外に出て、彼女から話を聞いてみると、三男が舅とやりやったらしく、「出てけ」と言われて、今日から、キャンピングカーに寝泊りすることにしたそうだ。手術が15日に控えてるので、とりあえずは、そうするらしい。

青天の霹靂 !                                      
                           つづく



私に出来ること・・・・
娘と一緒に、地下でクラリネットの練習をしている舅の所へ行き 
熱い おやすみなさいの ハグを することだけでした。
舅の顔は、赤く、まだ、小刻みに震えてるように見えた。
言い争いで、興奮したその後を隠しきれない様子だった。

2008-05-07

人と共に 美しく良くなる

3日(土)は、娘が入ってるエドモントン市合唱団で、主人と一緒に、ワークショップをやった。身体と音がテーマだ。対象は、娘のクラスの小学2年から5年生の子達だった。
軽く準備体操を あの手この手でやって、サイレントが、如何に大切かという事と、頭を風船と想像して、肩から下をリラックスさせて歩くことやら、 横になって、目を閉じさせて トライアングルや、レインスティックやら銅鑼やらと色んな音を それぞれ聞かせた後、その都度、その音を体で表現したらどう なるかやらせてみた。
最後に3人組みに分けて、架空の楽器を鳴らして、音のない演奏会を それぞれが みんなの前でやった。とっても面白かった。

家に戻ると、姑たちもアリゾナから戻っていて、みんなで、バイソン バーガーの支度に掛かっていた。バイソンは、バッファローの肉で、隣のジェーンからの頂き物。
可也、盛り上がっていて、笑いが耐えない。みんなよく喋り、姪の家族の5歳になる小さな女の子を中心に、賑やかだで、楽しい一日だった。

次の日の日曜は、一週間早めた母の日で、母と名のつく私も 一切 台所に立ってはいけないという、なんだか落ちつかない日。
朝ごはんは、三男のレシピで作ったホットケーキを 私の旦那が、ホットプレートで焼く係り、
夕飯は、サーモンバーベキューを、長男を中心にみんなが立ち回った。
「あれはどこだっけ?」の質問に 答えやすいように台所の近くで、私は待機していた。

娘と5歳の姪の子は、庭で、インデアンの家のようなもの作ったり、隣のジェーンの家に行って木の下で、遊んだりしていた。
その日の夜に賑やかな姪っ子の家族は、カルガリーに帰っていった。

5日(月)の朝、学校のある娘は、眠そうな顔をして、ぎりぎりに出て行った。
みんなは、ゆっくり それぞれ起きて、リビング、キッチン、外のパディオと、小分かれしてのディスカッション。今日もみんな笑っていた。
この家で、こんなに沢山の笑い声が響いたのは、久しぶりだと思う。

さてさて、問題は、この夜であった。
これまで、日記にはあまり 書かなかったが、姑は、可也、口調の強い人で、初対面だと、その威圧感で嫌がる人も多い。内面は、弱い人で本人は、人 が傷ついてることを感じ取れないタイプだ。決して悪い人ではない。根性は悪くない。しかし、これまで、可也のトラブルを起こしてきた。その横柄な態度と、 口調で。

私は、親戚一同から、最後のチャレンジャーとして、気に留めてもらっている。『果たして、この子は、大丈夫だろうか・・・』だから、みんなが集 まったこの二三日の間、姑が、口癖で、『これは 誰がやったか』と 些細なことを質問すると、姑のお気に入りの姪っ子 か、姑と張り合える三男の嫁が、私 をかばって、名乗りを上げてくれる。これは、一つのゲームになって、楽しんでいた。しかし、姑は、彼女らが、かばえない私のミスを、一つの面白話として、 みんなに聞かせたのだ。その場に私は居なかったが、家の中で、うろついていたのは、姑もみんなも分かっていて、私に聞こえる大きな声であったから、きっ と、嫌味じゃなかったと思うのだけれど、みんなの笑いの種にされて、私の中に、少し残っていた、落ち込み病が芽を出して、悔しくって涙が流れた。
笑って、「何言ってんのよ、お母さん、あなただって、やってたじゃん!」と、返せない自分の暗いアジアの血が、悲しかった。というより、低次元 のことで、怒ってる自分が情けなかった。兎に角、部屋でぐずっていた。娘と主人が、伺ってきて、ありゃりゃ、と言う感じで、姑に言ったらといってくれたり したけど、そんな大げさなこと まだ 出来んワイ。と、断った。二人が部屋から出て行ったあと、姑が部屋をノックした。

「私が、何かしたかしら」
思ってもいないお言葉
『はい、洗濯機のことで、みんなに私の失敗を笑われて、落ち込んでいます』
と、冷静に答えられた。
姑は、「ごめんね、悪気はなかったの、許してね、私は、愛してるのよ」と、涙した。
つられた私も、「みんなみたいに笑って言い返せなくて、ごめんなさい。私も愛してますよ、お母さん」これまた、涙。
二人でしっかと抱き合った。
頭の中で、一週間くらいは、もつかしら・・・なんて、よぎったりもした。

姑と、私は、ドラマが好きだ。これは共通していそう。

キッチンに、腫れた目を隠しながら、戻ったら、三男夫婦が、キッチンの戸棚の中にしまって、何十年も使わずにいる食器やら、紙袋やらを『これは、 要るのか、お母さん。捨てちゃえ捨てちゃえ』と、ゲームのようにやっていた。聞かれるたびに、姑は、『それは、何年の何時に何処で どうしたものだ』と説 明しながらも、彼らの速さに追いつかず、半分笑いこけていた。
この家は、可也のスペースを、粗大ごみが場所をとっている。特に地下は、すごい!

次の朝、起きたら、実家の母と廻ったお遍路で、宿泊先のお寺の住職さんが、朝のお努めのとき、話してくれたことを思い出した。

『供養』とは、亡くなった方をお参りするだけではないのですよ、その字のように、「人と共に美しく良くなる」 つまりは、今生きているご自分自身が、人と共に 幸せで良くなれば、ご先祖様も、喜ばれるわけです。今日はそんなことも念頭に置かれてお参りなさってください。

少なくとも、この二三日のこの家には、美しく良くなる空気が見えている。

2008-05-01

16年ぶり

おはよう!昨日また雪がちらりと降り、雨になった朝です。
昨夜、主人のお兄さんが、ケローナから、飛行機で、10時に着き、主人と弟さんが迎えに行った。一週間の滞在予定だ。
弟さんの危篤事件から、何かみんな忘れたものを思い出したように、この家に集まっている。
兄弟3人が、この家に一緒になるのは、なんと16年ぶり、私と旦那が出会った年に、カナダに遊びに来たとき、親戚一同が集まったが、あれ以来だ。
あの後、親戚同士の裁判沙汰のトラブルが起き、家族も二手に分かれてしまった。
私たちは、日本に居たので、中立派でどちらにもコンタクトを取っている。

昨晩は、遅くまで兄弟で酒を交わしていた。話題は、なぜか、健康食のことだった。弟さんは、今週木曜か金曜に手術を受ける、お兄さんは、交通事故 の後遺症に30年も悩まされ片足を引きずって内臓も調子が悪い。が、二人とも大食かなのだ。体調をひどく壊し始めてから、二人とも食に気を使っているが、 私から見るとやっぱり、よく食べる。
食べることが好きなんだと思う。私も主人も、あまり食べることには、興味がない。だから、太らないのかも・・・・

食べることの好きな人に、マクロビオティックのような食事は、生きる気力を失せさせるようで、気が引ける。健康な体より健康な精神を保つことが大事だ。

お兄さんのアイディアで、一週間早い母の日のお祝いを 今度の日曜日にすることになった。
姑たちは車で、今、アリゾナからこちらに向かってる途中、金曜の夜に着く予定。
80才になる姑は、きっと このサプライズに感激するだろう・・・

部屋の割り振りの結果、兄弟三人は、それぞれ以前の自分の部屋に寝泊りすることになった。これもなんだか、いい感じ。
私と娘は、もと、主人の部屋で3人一緒に寝たが、主人の夜中の咳込みに、寝不足。

今日、弟さんが親戚のところに置きっぱなしになっている、大きなキャンピングカーを旦那が運転して、ここへ持ってくる。今週また カルガリーからやって来る姪の家族が、そこに寝泊りする予定だが、私も泊まってみたいと立候補。

人が集まることは、大好きだ。

私の理想像、「人の集まるところの ぺんぺん草でいたい」

想いは、叶うね