2011-03-20

スーパームーンの夜、祈りの日を終えて

祈りいっぱいの夜でした
メキシコタイム19日レオン市で、100人ぐらいだったけど、月一回行われるマヤの瞑想の集まりで、日本への祈りも行われました。
一人ひとり蝋燭を手に、放射能が本土へ広まらないように風の力にお願いをしました。これ以上の惨事にならないことも 
大きな月に向かって みんなそれは真剣に祈ってくれました。


私も色々と考えさせられています。
今朝ふと一つの答えをもらいました。
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誰でも誰かの役に立ちたいと思う
これが、私たちなんだ
私たちの本能の中にそういうものが含まれている
だから、何か出来る機会に恵まれたとき
自然とやってあげたいと一瞬でも思う
人であることを認めて貰えるぞと 気持ちが高ぶり
「チャンスが来た」のスイッチがオンになる

だから、心から、そのチャンスをくれた人に「ありがとう」なんだ
その人から「ありがとう」を貰うためではないんだ

そう思うと 不思議と 逆に人から施しを受けたとき
素直にその思いを受け止め、感謝の気持ちが湧いてくる

これが「活かしたい」ということなのかな

などなど
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私の中で、施しの意味が大きく変わりました
そしてね、「活かしたい」の素直な思いを静かに共有できないかなと思っています
活動的でなく静かに

きのうは、マヤの瞑想やら、仏教の集まりやらで、マヤ信仰、仏教とでもない私は、なんだかくたびれた一日でした。

私も瞑想やってと言われて、みんなの前で少しやったのですが、祈りたいという気持ちはあったのに、いざ みんなの前で となると、自我がはっきり現れて、逃げ出したくなりました。
表現者としては自然とそうなるのだけれど 昨日はとても虚しかった。
祈りや瞑想には、言葉や、セレモニーは要らないのかもしれません。
自分の中に静かに入っていく それだけのことなのですから。

そんな中、誘った私の友達たちは、自分が何をやろうとしているのかを確かめ、周りに流されず、個々の中で、真剣に瞑想したり、祈っていました。集団心理に本能され、やってるつもりに成りやすい私には、その正確さが新鮮に映りました。

一つ良かったのは、昨日の祈りの一日で、「もう大丈夫」と気休めではなく、一区切りできて前に進める そんな気になったことです。

知らなかった原発の怖い事実は無視せずに、静かに怒り、行動したいと思っています。


主人が昨日言っていた

「 僕は宇宙人だと思う、そう思えてならないよ。
僕の周りで 長い間 人が殺し合ってるでしょ?どうして?
どうして そんな事するのか 不思議でたまらないですよ。
僕は 理解出来ないから ほんとに どうしてそんなこするのか
分からないから、宇宙人でしょ 」


国際結婚した私に、結婚当初、「ご主人 なに人?」と、よく質問された。
私は、いつも 「宇宙人」と答えていた。
あの頃から自覚が芽生えていたのかも・・・・

彼の中での憤りは、そうやって受け止めるんだと ちょっと羨ましかった。

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